Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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香港・九州合同代表者会 妙法は無限の向上の法

1992.2.21 スピーチ(1992.1〜)(池田大作全集第80巻)

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3  戸田先生は、出獄後まもなく、ノートにこう記されている。
 「南無妙法蓮華経の信仰は、向上を意味する。無限の向上である。朝に今日一日の伸びんことを思い、勇躍して今日一日を楽しむ。しかして無限に向上して行く(中略)まだまだ、その上へその上へと向上して行く法である」(一九四五年九月二十二日)と──。
 特に、青年部の皆さまは、この「無限の向上」へのバイタリティーを漲らせて、新しい「創価の道」を開いていっていただきたい。アジア、そして全世界の青年部をリードしゆく、偉大なる前進を私は期待し、信じている。
4  御本仏の「法王の大宝」はわが胸中に
 法華経には、大長者が一人息子に無量の財宝をすべて譲るように、仏は仏子ぶっしである衆生に「法王の大宝」(法の王である仏の偉大なる宝)を贈られると説かれている(信解品の長者窮子ぐうじたとえ)。
 「御義口伝」に「法王とは法華経の行者なり」と仰せのように、法王とは別しては日蓮大聖人のことであられる。大聖人の「大宝」を、「無上の宝聚ほうじゅ」(この上ない宝の集まり)を、求めずして得られるのが、妙法の信心なのである。
 大事なことは、その仏の大宝を、自分自身のこの胸中に抱いていることを、自覚するかどうかである。この宝を、自分を離れた、どこか外に求めている限り、真実の仏子としての喜びも、誇りも、味わえない。
 大聖人は仰せである。
 「所詮しょせん己心と仏身と一なりと観ずれば速かに仏に成るなり、故に弘決に又云く「一切の諸仏己心は仏心と異ならずと観し給うに由るが故に仏に成ることを得る」と已上、此れを観心と云う実に己心と仏心と一心なりと悟れば臨終をわる可き悪業も有らず生死に留まる可き妄念も有らず、一切の法は皆是れ仏法なりと知りぬれば教訓す可き善知識も入る可らず思うと思い言うと言い為すと為しふるまいとふるまう行住坐臥の四威儀の所作は皆仏の御心と和合して一体なれば過も無く障りも無き自在の身と成る
 ──つまるところ、自分の心と仏の身とが一体であると観じれば、速やかに仏になるのである。ゆえに、中国の妙楽大師の摩訶止観輔行伝弘決まかしかんぶぎょうでんぐけつには「一切の諸仏は、己心は仏心と異ならないと観じられたゆえに、仏になることができたのである」と述べている。このことを観心というのである。
 実に己心と仏心とは同じ心であると悟れば、臨終をさまたげる悪業もない。生死の苦しみの世界にとどまるまよいの念もない。一切の法は皆これ仏法であると知ったならば、教訓をしてくれる善知識も必要ない。思うままに思い、言うままに言い、なすままになし、ふるまうままにふるまう行住坐臥(行き、住し、すわり、す)の四つの動作が、皆、仏の御心と和合して一体となるから、過失かしつもなく、障害もない自在の身となる──。
 この御書の仰せのごとく、一人一人が永遠なる「心の大長者」、無限なる「生命の大王者」、自在なる「社会の大賢者」の境涯を開きながら、最高の人生を勝ち取っていける。昨日も少々お話ししたが、そのためにこそ、大聖人は「観心の本尊」を顕してくださったのである。
5  戸田先生はわかりやすく言われた。
 「われわれの胸にも御本尊はかかっているのであります。すなわち御仏壇にある御本尊即私たちと信ずるところに、この信心の奥底があります」
 さらに「御本尊を拝んで南無妙法蓮華経を唱えることによって、わが生命のなかにずーっと御本尊がしみわたってくるのであります。目を開いて大宇宙を見れば、そこに御本尊がいまし、また、目を閉じて深く考うれば、大御本尊が明らかに見え、わが心の御本尊が、そこにいよいよ力を増し、光を増してくるのであります」と──。
 ご自身が、日本の軍国主義と戦い、二年間、御本尊のあられない牢獄で、あの偉大なる大境涯を開かれた戸田先生の言葉である。絶対に間違いない。
 創価ルネサンスの時代とは一次元から言うならば、一人一人が、この本源的な「人間生命の尊厳」に、より強く、より深く、目覚めゆく時代といってよい。
 「本尊とは、我が胸中の肉団にある」──その確信、自覚から、尽きせぬ「喜び」が込み上げてくる。新たな「創造」の力が、わき起こる。そして人間への大いなる信頼と慈愛が喜々として広がっていく。
6  すべての変化が「永遠の福徳」の糧
 さらに大聖人は「御義口伝」に「常住とは法華経の行者の住処なり」──(寿量品の「常住此説法」の)「常住」とは、法華経の行者の住む所である──と。
 別しては大聖人、総じては広宣流布を行じゆく学会員の活躍の場は、御本仏が「常住」される楽土なのである。
 たしかに、現実は変化変化の連続であるかもしれない。しかし妙法を唱え、広布に進みゆく皆さま方は、その無常の流転に流されることがない。苦しむことがない。かえって、一切の変化を、「永遠の福徳」のエネルギーとしながら、この人生を楽しみきっていける。
 御本仏の大慈悲に包まれながら、瞬間瞬間、一日一日、「永遠の歴史」を刻んでいける。自らの使命の天地を「常住」──すなわち永遠の仏国土へ、常楽と喜楽の都へと築き上げていくことができる。
 ゆえに「信心」には何ひとつ″ムダ″はない。すべて生かされていく。すべて「三世の幸福」の軌道を進む推進力となる。
7  香港の皆さまの尊き使命の舞台、気高き使命の人生は、二十一世紀を前に、いよいよ広々と開かれている。いよいよ鮮やかに光彩を増している。どうか、ますますにぎやかに、ますますはつらつと、ますます仲良く進んでいただきたい。
 私にとっても、すべての東洋広布の旅は、香港に始まり、香港に終わる。香港の皆さまとご一緒に、万年への歴史をつくれることが、私はうれしい。
 最後に、お世話になった香港の皆さま方に重ねて「ホウ多謝トーチェ!」(本当にありがとうございます)と申し上げ、そしてご列席のすべての皆さまの更なる「ご健康」と「ご多幸」と「ご長寿」をお祈りし、記念のスピーチとさせていただく。

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