Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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静岡・沼津文化会館 学会の「宗教革命」の正しい確信

1991.12.26 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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9  大聖人はさらに、こう仰せである。
 「秋のいねには早と中と晩との三のいね有れども一年が内に収むるが如く、此れも上中下の差別ある人なれども同じく一生の内に諸仏如来と一体不二に思い合せてあるべき事なり
 ──秋の稲には、早(早稲わせ)と中と晩(晩稲ばんとう)との(実りの時期が異なる)三種の稲があっても、いずれも一年のうちに収穫できる。それと同じように、この仏法においても、衆生の機根に上・中・下の違いがあっても、皆、同じく(平等に)この一生のうちに、諸仏如来と一体不二となる(成仏できる)と思い合わせていくべきである──。
 どんな人でも、皆、平等に一生のうちに最高の幸福境涯を開いていける──これが、大聖人の大仏法である。
 一生のうちには、喜びの日もあれば、悩みの日もある。天候だって、一年中、快晴というわけにはいかない。しかし「煩悩即菩提」の信心によって、一切を成仏、すなわち絶対的な幸福境涯への糧にしていくことができる。
 今世の信心の勝利は即、三世永遠の勝利に通じていく。ゆえに信心だけは貫ききっていくことである。作物も、育てきってこそ、すべての労苦が生きてくる。
10  「世界への道」開いた学会こそ正統
 大御本尊は「一閻浮提いちえんぶだい総与そうよ」の御本尊であられる。全世界の民衆のために与えられた御本尊であられる。
 ゆえに「全世界への道」を開きに開いていくことが、大御本尊を真に奉じゆく実践となる。現実に「道」が開かれてこそ、大御本尊と世界の民衆が結ばれる。日蓮大聖人の「一閻浮提総与」との御心を実現しゆくことになる。
 この「世界への道」を開いたのは創価学会である。「道を開く」と、ひと口に言っても、並大抵の苦労ではない。歴史的に仏教と無縁の国もあれば、敵視している地域もある。文字通り、命がけで開いてきたのである。
 しかし今や、広々と「道」は開かれた。数限りない仏子らが安心して往来できる「大道」をつくることができた。これからもつくっていく。
 大御本尊への「信心の大道」を、世界に開いた功徳は大きい。「信心」さえあれば、世界のどこにいても、大御本尊に通じていくからである。
 反対に、道をつくる苦労もせず、それどころか、道を閉ざし、破壊し、民衆のための大御本尊を、保身のための″道具″として私物化しようとする人間は、御本仏から、どれほどのお叱りがあるか想像もできない。
 静岡の同志の皆さまも、大きく視野を広げ、「世界」と伸び伸びと交流しながら、我が地域にあっては、盤石なる創価の「大静岡王国」を築いていただきたい。
 お会いできなかった方々にも、よろしくお伝えください。懐かしい沼津の皆さま、きょうは、本当にありがとう!

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