Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関西総会 太陽の仏法は全人類に「平等」

1991.10.16 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

前後
23  私は、十九歳の夏、先生とお会いした。一年数カ月後、二十一歳からは直接、先生のおそばで働いた。三百六十五日、朝から夜中まで、懸命にお仕えした。
 ある時など、朝の四時ごろ、急に呼ばれたこともある。今と違って、車など簡単に見つからない。それでも不思議とタクシーが見つかり、先生のもとに駆け付けた。一事が万事で、毎日が、それは厳しい訓練の連続であった。
 ──「真実」を知るためには、多面的に「事実」を多く知ることも、その一つの前提となろう。なかでも、その人物が、「最悪の事態のなかで、何をなしたか」を見極めることが肝要かんようであろう。
 「からんは不思議わるからんは一定とをもへ」──よいことは不思議であり、悪いことは決まりきっていると思いなさい──と大聖人は仰せである。
 人物の真価は窮地きゅうちにあってこそ、明らかとなる。その意味で私は、先生を、あらゆる面で、つぶさに見てきた。先生の「真実」を、魂の奥底おうていに刻んできた。
 私は「先生の行くところ、どこまでも行く。先生とともに生き、先生の目的のために死のう」と決めた。弟子として先生のこころざしを受け継ぎ、広宣流布の一切の責任を担いゆかんと決めた。
 その時から、先生のお気持ち、お考えが、鮮明に心にえいじはじめた。師の真の偉大さ、素晴らしさを、胸中深く焼き付けることができた。また打つ手、打つ手が、師のリズムに合致しゆく自身を確信した。
 私が言っていること、やっていることは、すべて先生の心を受けての言動のつもりである。師弟の心は、どこまでも「不二」でなければ、仏法の生命はない。
 師の教えを守ってこそ弟子である。「師弟」である。
 私どもの広布への行動は、日亨上人、日昇上人、日淳上人、日達上人と、宗門の先師であられる歴代上人が御称賛であられる。その仰せに反するならば、先師への反逆であり、師敵対であろう。
24  勇敢に戦う者こそが英雄を知る
 ゲーテは歌った。
  英雄をよろこんでたたえ英雄と呼ぶのは
  みずからも勇敢に戦った者にちがいない
  みずから火と水の苦しみを味わったことのない者は
  人間の本当の価値を認めることができない
   (平凡社刊『世界名詩集5』所収、高安国世訳)
 苦難を避けて「真実」はわからない。折伏をしたことのない人に、折伏の苦労はわからない。御書の仰せも、それを実践に移してこそ、深く拝することができる。「経典も信仰がなければ、ただの本になってしまう」と、戸田先生は「生きた信仰」の大切さを端的たんてきに教えられた。
 「信」と「行」なくしては、そこに大聖人の仏法の生命はない。大切なのは「行動」である。そして自ら苦難に立ち向かう「勇気」である。その「行動」と「勇気」によって「真実」は、やがて明らかとなり、自身もその「真実」に照らされていくのである。
 また、この確信ゆえに、私は、戸田先生の「真実」を、「学会の正義」を語りに語り抜いていく。
 ともあれ、今や兵庫は、全国の「あこがれの地」である。私も、何度もうかがいたいと思っている。
 最後に、尊き使命の生涯を、ともどもに、見事に「満足」で飾っていただきたい、と申し上げ、本日のスピーチとします。ありがとう!お元気で!

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