Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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小田原記念音楽祭、佐賀県総会・合唱祭 民衆の歌声に人間宗教の証

1991.10.10 スピーチ(1991.10〜)(池田大作全集第79巻)

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13  金とを″食いぶち″と見る「狗犬の僧」
 さて、話は変わる。仏典に、「ライオンの毛皮」という物語(「獅子皮ししかわ本生ほんじょう物語」)がある。
 ──あるところに、立派な麦畑があった。農夫たちが、来る年も、来る年も、一生懸命にたがやし、育てた麦畑である。ある年のこと、その麦畑に、なんとライオン(獅子)が現れた。そして、大切麦を次から次へ食い荒らしていった。
 「なんとしても追い払わねば!」──畑の番人はあわてた。しかし、相手がライオンではとても近づくことができない。
 ライオンはいたる所に出没しては、悠然ゆうぜんと麦を食べていった。
 「これ以上、畑をめちゃくちゃにされてはたまらない」──とうとう我慢の限界を超えた村人は、ついに立ち上がった。
 こぞって手に手に武器を持ち、ほら貝を吹き、太鼓を打ち鳴らしながら、畑へと押し寄せた。そしてライオンめがけて大声で叫んだ。
 満腹のうえに、「どうせ皆、恐れているんだ。向かってくるわけがない」と油断ゆだんしきっていた″ライオン″は、驚(おどろ)いた。驚いたあまり、つい声が出た。「ヒヒン、ヒンヒン!」──とでも鳴いたのだろうか。
 ともあれ、ライオンとは、似ても似つかぬ声であった。いやしい本性が、声に出た。黙っていれば、よかったのに、我を忘れて、ついつい卑しい声を張り上げてしまったばかりに、中身がわかってしまったのである。まさに″自滅″″自爆″であった。
 「おや!あれは、ロバの声だぞ!」
 「なんと、ライオンじゃない。ロバだ!」
 農夫たちは、勢いづいた。そして、たちまちロバに飛びかかり、さんざんに打ち倒していまった。
 実は、ロバが、ライオンの毛皮を、頭からかぶっていたのである。その″けの皮″がはがされた──このロバは、一人の商人が商売で立ち寄る先々で、ロバの背から荷を降ろすと、ロバにライオンの毛皮をまとわせて畑にはなっていたのだった。
 商人がもどってきたとき、哀れなロバは虫の息だった。
 ロバは商人に笑われた。「ライオンの毛皮をまとっていれば、いついつまでも緑の麦を食べることができたものを、ロバの一声を発したばかりに、身を滅ぼしてしまったことよ」──と。
 これは「本生経ほんじょうきょう」に説かれる話である。本当に仏典の知恵は深い。今を見通したかのような物語である。
14  「法師の皮を著たる畜生」
 大聖人は、「謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり」──謗法の者を責めずに、いたずらに遊びたわむれ、気ままな話ばかりして暮らす者は、僧侶の皮をかぶった畜生である──と、厳しくいましめておられる。
 法師、僧という「ライオンの皮」をかぶって、人々を恐れさせながら、不惜身命ふしゃくしんみょう弘法ぐほうもせず、遊び暮らし、供養くようを私物化するなどの姿があれば、まさしく「畜生」の姿そのものであろう。
 いわんや、信徒が丹精たんせい込めた″広布の花園″を破壊しようとたくらむ──まさに御本仏に敵対する、大謗法である。
 大聖人はまた、我欲がよくに狂う末世の僧を、「狗犬くけんの僧」(犬のような僧)とも仰せである。
 その姿といえば、「名聞名利に著し上には袈裟衣を著たれば形は僧・比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提げて我が出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致す
 ──名聞と名利に執着しゅうじゃくし、表面は袈裟けさ・僧衣をつけているので、形は僧や尼に似ているが、内心には邪見の剣をひっさげて、自分が出入りする檀那のもとへ、他の僧尼を寄せつけまいとしてあらゆるでっちあげの言をもって悪口する──。
 つまり、檀那(信徒)を、自分の″食いぶち″としてしか考えていない。その″食いぶち″を得るために、檀那を確保しようとし、ガツガツと供養を得ようと、むさぼる。そのためには手段を選ばない。平気でうそをつく。権力をもつ者へ、でっちあげを広めたりする。人を救う慈悲など、まったくない。──こうした「邪見」の僧を、大聖人は、「狗犬の僧」と、厳しく断じられたのである。
 ともあれ、攻められて、″にせライオン″は″ロバ″の本性を出してしまった。
 仏典の英知は、「表面の『獅子の毛皮』などにだまされるな!こちらが道理を貫き、徹底して攻め抜いていくならば、『悪』は自ら、その『正体』を現す!」──その戦いの方程式を、教えてくれている。
15  「正法」と「人間性」の創価の城を永遠に
 昨日、私はブラジルの連邦下院議員であるウエノ氏と懇談したが、ブラジルには、次のような趣旨しゅしのことわざがある。
 「いかなる財を持つよりも、良い友人を持つことは大切である。友情は金や銀よりも価値がある」と。
 変わらぬ友情は、いかなる宝よりも尊い。そして、策や利害ではなく、友情を結び、友情を大切にする人生こそ光り輝く人生である。
 私どもも人間としての「友情」で結ばれている。また世間的な友情よりも、もう一歩深いきずなで結ばれた「三世の同志」である。これ以上、麗しい人間性の世界はない。これ以上、美しき、真心の世界は絶対にない。
 どうか、「正法」と「人間性」のとりでである創価学会をしっかりと守りながら、「これでよかった」と言い切れる、最高に「価値ある人生」を、「希望の人生」を、「朗らかな人生」を生き抜いていただきたいと申し上げ、祝福のスピーチを終わります。
 神奈川の皆さま、佐賀の皆さま、そして栃木・千葉の皆さま、本当におめでとう!ありがとう!

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