Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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青年部・教学部代表協議会 大勇猛心の人を諸天は加護

1991.9.20 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

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17  「三類の敵人(強敵)」と説かれるように、仏法には敵がいる。敵と味方を、よくよく知らねば広宣流布の勝利はない。
 「かたきをしらねば・かたきにたぼらかされ候ぞ」――敵を知らねば、敵にたぼらか(たぶらか)されますよ――と大聖人は警告してくださった。
 だれが自分の味方なのか。だれが広布の味方なのか。だれが人間性の味方なのか。はっきりと見極めねばならない。そして仏法の敵とは断固、戦い、味方は最大に大切にする、それが大聖人の教えられた道である。幹部も、学会の友を最大に大切にせねばならない。最大の満足を与えてあげる努力が自身の仏道修行となる。
 また一面からいえば、敵は必要ともいえる。
 「かたきのなき時はいつわりをろかにて候」――敵がいない時は、いつわった愚かな姿のまま安穏に過ごせる――。
 これは法華経の行者がいないうちは、他宗の者もいいかげんでいられるという意味である。そのうえで、私どもも、敵がいるからこそ「いつわり」「愚か」ではいられなくなる。その分、鍛えられ成長する。″本物″になり″賢明″になっていく。″敵″は成仏の必要条件でさえある。
 「僣聖増上慢」はじめ「三類の強敵」と戦ってこそ、成仏の永遠の幸福境涯が開かれる。
18  嫉妬は人の″目″を転倒させる
 大聖人は″法華の敵″の転倒を、こう指摘された。
 「彼の阿闍梨等は・自科を顧みざる者にして嫉妬するの間自眼を回転して大山を眩ると観るか
 ――あの高僧たちは、自分の誤りを省みない者であり、嫉妬するあまり、自分の目が回っているのに、大山のほうが回っていると見ているといえよう――。
 大山は不動である。広布をめざす、われらの信心も不動である。その「不動の一念」の周りを諸天が舞う。
 大山の不動をしらず、自分の目が回っているのを、大山が回っているごとく大騒ぎしている者たちに、少しでもまともに付き合うことは愚かである。
 大聖人が仰せのように「嫉妬」は物を見る目を転倒させてしまう。まことに愚かな、やっかいな感情のようだ。その心のすきまに大魔、天魔が入るのである。
 また、「彼等程の蚊虻の者が日蓮程の師子王を聞かず見ずしてうはのそらに・そしる程のをこじん嗚呼人なり」と。
 ――彼ら程度の蚊やあぶの者が、日蓮ほどの師子王を、ちゃんと聞くことも見ることもせず、うわの空でそしっている。それほどの愚人である――と。
 大聖人は師子王であられる。真実の門下の私どもも獅子でなければならない。蚊や虻は飛び回るとうるさいが、何も確かめもせず、理解もせずして、″聞かず見ずして″悪口したり、作りごとを書いたりしているだけなのである。獅子が、いつまでも、こうした「愚人」の勝手にさせておいたとしたら、大聖人のお叱りを恐れるべきであろう。
19  ともあれ、広宣流布に戦い、仏子の面倒を見ていく人の周りには、心と心の輪が幾重にも広がる。いざという時に、たがいに諸天の働きをしてくれる。行動した分だけ、自分の「生命のネットワーク」「福徳のネットワーク」は、宇宙へと拡大していくのである。
 この尊き広布の世界、学会の和合僧を青年部、教学部の力で断じて守り、世界へ世紀へと発展させていただきたいと念願し、スピーチを結びたい。
 (本部第二別館)

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