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日蓮大聖人・池田大作

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北海道文化会館・記念の集い ″平等の仏法″をわが自由の天地で

1991.8.26 スピーチ(1991.7〜)(池田大作全集第78巻)

前後
9  北海道は「新しき天地」であった。ある意味で「未開の荒野」であった。それまでの日本文化をもってきただけでは「開拓」はできない。「新思考」が必要であった。
 欧米はじめ外国文化を積極的に取り入れ、文物を学びながら、自由奔放に、皆が力を出すことによって、やっと「開拓」が進んだ。大きな人物も生まれてきた。封建的な「抑圧」の空気のなかでは、とても成果は上がらなかったであろう。
 創価学会も、広宣流布という「未開の荒野」に挑み、開拓に開拓を続けてきた。筆舌に尽くせぬ、民衆の労苦の汗によって。
 先日もサイフェルト女史(オーストリア文部次官)が、「自由と平等があったからこそ、創価学会は発展したのですね」と言われていたが、まさに本質を見抜いておられる。(拍手)
 権力者は、民衆に北海道を開拓させ、しぼりとり、その成果で肥え太った。そして″もう俺たちのふところも大丈夫だな″″これ以上、勝手にさせてはおけないな″――もう自分たちの政権も経済も安泰になつたとみるや、豹変した。「掌を返して」、強権的、画一的、封建的な、古い日本文化を押しつけてきた。
 特権階級の意のままになるように、無理やり、「新天地」は「旧思考」のなかに押し込められた。お上のいうことに逆らうな――「抑圧の時代」が始まってしまった。
 大人物も生まれにくくなった。権力者にとっては、そのほうが都合が良かったであろう。いばりたくて仕方がない、人を見くだしたくて仕方がない人間にとって、偉大な人物ほど″目障り″なものはない。
 しぼるだけしぼりとって切り捨てる――これが「権力」の残酷さである。民衆無視、民衆蔑視、民衆利用の手口である。
 わが創価学会は、断じて、同じ手に乗ってはならない。″逆コース″は、人類への反逆であり、歴史の進歩への裏切りである。
 抑圧・強権・差別――日淳上人は、こうした「封建性」について、法華経の精神とは、まったく異なる、むしろ、まっこうから対立するものとされている。なかんずく新しき国土・北海道において、「おまかせ信仰」ではない、真の法華経の信仰を流布していくよう期待されたのである。
10  自由と平等という、仏法の本来の「心」を踏みにじろうとする権威、権力。それらの悪に対しては、まず北海道こそが、真っ先に勇んで立ち上がり、敢然と戦っていくべきであると信ずる。(拍手)
 その戦いこそが、正しい信仰のあり方であるからだ。また、そこにこそ自分自身の成仏への道を決定づけ、大境涯を開きゆく方程式があるからだ。のみならず、北海道の国土の歴史的使命、すなわち日本人の卑屈な奴隷根性、長いものには巻かれる″おまかせ″主義を克服するという使命をも、実現していくにちがいない。
 さらにこの戦いが、地域をも活性化させる。この戦いから、生き生きと繁栄する、北海道の「新しき世紀」が開かれていく。これが「立正安国」の法理である。
 ともあれ朗らかにいきましょう! 悠々と、強く、楽しく進みましょう! それでは、また。お元気で!(拍手)。お会いできなかった皆さまにも、くれぐれもよろしくお伝えください。
 (北海道文化会館)

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