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日蓮大聖人・池田大作

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ドイツ広布三十周年記念総会 差別なき世紀へ、世界に友情の連帯を

1991.6.8 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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12  また日淳上人は、第二次世界大戦後、日本の民主主義の新出発にさいし、「民主主義と宗教」について繰り返し論じられた。
 日淳上人は、堕落した既成宗教を民主主義の敵として厳しく戒められた。それはなぜか。「尊厳なるべき個々人を侮辱し迷妄ならしむるもの」だからである。また「個人の開発」を妨げ、「民衆を愚昧ならしむる」からである。
 正法においても、こうした、仏法本来の精神に反する行為があれば、またみずからの怠慢と慢心で多くの信徒を苦しめ、迷わせる姿があれば、これこそ三宝破壊であり、仏法破壊であり、五逆罪に通じる――と、ヨーロッパの数名の幹部が厳しく語り合っていた。(拍手)
 本来、妙法は、「一切の人々が仏性を有し且つ仏となること、個人の自由と平等と尊厳を正しく合理的に説き明かし且つ実証してをる」(昭和二十四年十月。『日一浮上人全集』)。ゆえにこの妙法こそ、民主主義の基盤たりうる唯一の宗教である、と日淳上人は結論された。
 今、世界の新しい民主主義の出発にさいし、私どもは、この大法をもって、いずこの世界よりも伸び伸びと、仲良く、堂々と時代をリードしてまいりたい。
13  戸田先生「人類を仏の境涯に引き上げたい」
 仏法は、一人一人の民衆を救い、成仏させるためにある。法のすばらしさ、正しさも、それを信受した人の境涯の変革によって証明する以外にないのである。
 私の恩師戸田先生は、「仏法は、だれ一人をも苦しめない、あらゆる民衆の苦しみをば救うというのが根本であり、今一つの根本は、あらゆる民衆に楽しみをあたえることであり、仏の慈悲というのは、これをいうのである」(「王法と仏法」、『戸田城聖全集』第一巻所収)と言われている。この根本を忘れた時には、仏法は形骸化していくしかないであろう。
 また、戸田先生は、こう述べられている。
 「それ(=『如来の使い』としての学会員の使命)は、いっさいの人をして、仏の境涯におくことであります。すなわち、全人類の人格を最高の価値にまで引き上げることであります。いかにして全人類の人格を最高度に引き上げえましょうか。いかにも、これは困難な問題であります。しかし、これを知ることができなかったならば、ほんとうに、地球上に真の幸福はありませぬ。全人類を仏の境涯、すなわち、最高の人格価値の顕現においたなら、世界に戦争もなければ飢餓もありませぬ。疾病もなければ、貧困もありませぬ。全人類を仏にする、全人類の人格を最高価値のものとする。これが『如来の事』を行ずることであります」(「如来の事を行ぜよ」、『戸田城聖全集』第一巻所収)
 「全人類の人格の引き上げ」こそ一切のカギとなる――まさに戸田先生の卓見である。先生は今日の世界まで見とおされていた。
 人類の「人格」が低く、六道の野獣性に支配されたままでは、どんな政策も方策も、結局は悪に引きずられてしまうであろう。
 地上から一切の「悲惨」をなくしたい――これが恩師の生命の叫びであった。そのためには全人類を仏にし、全人類を最高価値のものとせねばならない。それこそが私ども学会員の使命である――と。
 この恩師の信念のごとく、「人類の救済」という根本目的に向かって、着実に足元を固めながら、私とともに進んでいただきたい。(拍手)
14  ドイツの皆さまへの私の願いは、ただ一つしかない。それは、ともかく、「だれよりも幸福になっていただきたい」ということである。いよいよ若々しく、いよいよ強く、いよいよ朗らかに、いよいよ仲良く、いよいよ希望高らかに、これ以上はないという価値ある「最高の人生」を歩んでいただきたい(拍手)。御本仏の子どもであり、ドイツのよき市民である皆きまのご多幸と長寿を、私は一生涯、祈り続ける。この心からの思いを申し上げ、記念のスピーチとしたい。(拍手)
 とくに、遠くからおいでになった方は、事故等に十分お気をつけて帰っていただきたい。ビンゲン市の「ドイツ総合文化センター」(=一九九七年五月三日、二年間の新装工事を完了し開館。市民から「ビラ・ザクセン」の愛称で親しまれている)の建設を楽しみに、また元気でお会いしましょう!(ドイツ文化会館)

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