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日蓮大聖人・池田大作

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5・3「創価学会の日」記念式典 永遠なる民衆勝利の大叙事詩をつづれ

1991.5.3 スピーチ(1991.4〜)(池田大作全集第77巻)

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18  ″広布達成への遺誠は門下の第一法則″
 ここで、「日興遺誠置文」を拝したい。いうまでもなく、第二祖日興上人が末法万年の正法弘通のために、後世の弟子に留め置かれたお言葉である。
 日興上人は、二十六箇条の「遺誠」について「此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず」――二十六箇条のうちの一箇条でも破った者は、日興の弟子ではない――と厳格に断言されている。
 その第十三条には、次のようにある。
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」――いまだ広宣流布しない間は、身命を捨て自身の力の限り妙法を弘めるべきである――と。
 日亨上人は、この御文を「重要永遠的の第一法則」の一つであり、「万代法則ともいうべき」であるとされている。
 つまり、このご遺誠は、二十六箇条のうちで最重要であり、中心となる鉄則である。大聖人門下にとって永遠に貫きとおすべき根本の指針と仰せなのである。
 「広宣流布」の実現こそ、根本の大事である。ゆえに「随力弘通の人」こそ、もっとも御本仏が喜ばれ、たたえられる人である。この根本をないがしろにするものは、日興上人の門下とはいえないとの戒めと拝される。
 わが学会の六十年の歴史は、まさしく、この御遺誠どおりの軌跡であった。これが私どもの最大の誇りである。(拍手)
 日達上人は、昭和四十一年(一九六六年)五月三日、創価学会第二十九回総会の席上、学会の実践を次のように称讃してくださった。
 「いまの時代は御本尊を護持し、付属してあることあらしめておるのはだれでありますか。学会であります。また令法久住のために死身弘法をもって、仏法を守護し、戒壇の大御本尊様を護持し、そして折伏をしておるのは学会であります。また、あらゆる謗法の難を破折し、六難九易を身をもって行ない、末法の広宣流布を実現しておるのも学会であります」と。
 本日、このように学会が福運に満ちみちて、堂々と五月三日を迎えることができたのも、日達上人が明言されているとおり、私どもの実践が、日蓮大聖人、日興上人のお心に適ったがゆえと確信する。(拍手)
 ここまで広がった世界広宣流布の前進――もしも、この仏子の行進を阻むものがあれば、その本質は魔であり、大聖人のご叱責は免れないと私どもは断言したい。(拍手)
19  「私は折伏の闘士を大切にします」
 さらに日興上人は、ご遺誠の第十四条でこう戒められている。
 「身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事」――わが身は軽く法は重しとする仏法実践者に対しては、たとえ下劣の法師であっても、まさに仏を敬う如くにすべきであるとの道理にのっとって、その人を信じ敬うべきである――と。
 仏法においては、地位や立場ではなく、信心の厚薄、実践の有無が根本であるとの教えである。身命を惜しまず、折伏・弘法に、広宣流布に生きぬく人は、立場がどうあれ、仏のごとくに尊敬していかねばならない、と。
 私どもは在家の立場でありながら、折伏・弘法に励んでいる。このご遺誠を残された日興上人のおほめをいただけることは間違いないと信ずる。
 日達上人は、先の総会の席上、この御文を拝されて、「私は、世界の人の前で、この身軽法重の行者、折伏の指導者である創価学会会長池田先生を大事にします。また、折伏の闘士として、創価学会の皆さんを大切にします」と断言されている。(拍手)
 どうか、皆さま方は、大聖人の仰せどおりに行じてきたわが学会の真実に、無上の誇りをもっていただきたい。
 この「誇り」を高々と掲げ、たとえ悪鬼、魔民におどされ、脅かされ、虐げられようとも、正義の「信仰者」として、一人の「人間」として、偉大なる一個の「人格」として、何ものも恐れず、強く、朗らかに、この一生の広布劇を飾っていただきたい。(拍手)
 来年の五月三日も、また本年以上に晴れがましく、全員がいちだんと成長し、いちだんと大福運を積んで集い合うことを念願しつつ、お祝いのスピーチを終わります。
 五月三日、本当におめでとう!大勝利の歴史、ありがとう!(創価大学記念講堂)

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