Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一回第二東京総会 平和の世界へ大仏法の「人間主義」の翼を

1991.4.2 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

前後
17  学会は、大聖人の真実の門下らしく、″たびたびの難″を受けてきた。そのたびに、ますます強く、ますます大福徳を積んできた。「真金」へと打ち鍛えられてきた。そこに、今日の「正法広宣流布」の大展開もあったと信じる。これからもまた同じである。一切は、さらなる発展と成長への原動力となる。(拍手)
 ともあれ、大聖人の門下として、「広宣流布」のために難を受け、苦しんだ分だけ、自身は輝く。御書に照らし、そうならないはずがない。
 そして、ひとたび築ききり、固めきった福運は三世を飾る。「所願満足」のすばらしき境涯を楽しみながら、一切衆生のための「慈愛」の人生を、どこまでも歩んでいける。誉れある地涌の勇者として、永遠に、そして自在に遊戯していける。――まさに、これ以上の生命の軌道はない。この大聖人の仰せを、どうか深く確信していただきたい。(拍手)
18  胸中に開け″天空より壮大なる世界″
 戸田先生はよく言われていた。「革命は死なり」と。
 死をも恐れぬ者が何を恐れようか。何ものも恐れぬ勇者を、いかなる暴力、奸計が屈服させられようか。――生命を賭してまでも、わが信念を貫く。理想の旗を守る。それが「人格」である。また「革命児」である。
 『九十三年』のドラマのなかで、青年ゴーヴアンは、みずから「人間愛の道」を選び、恐怖政治の犠牲となってギロチンにかけられる。
 処刑の前夜、彼はこう語る。
 「わたしが望むのは、精神に対しては自由を、心に対しては平等を、魂に対しては友愛を、ということです。たくさんです! もう束縛はたくさんです! 人間が作られているのは、くさりを引きずるためではなくて、つばさをひろげるためなのです」(榊原晃三訳、一前掲書)と。
 死の直前である。ふつうであれば、恐怖に震え、口もきけない夜を送ったかもしれない。それまでの生き方を悔やみ、だれかれかまわず救いの手を求めたかもしれない。
 だが、彼は真の「人間」だった。高潔なる「青年」であった。最後の最後まで、信念の大いなる切翼を広げた。最後の一瞬まで、羽ばたこうとしていた。
 私は祈る。わが青年部諸君もかくあれ、と祈る。彼のこの叫びのように、君らもまた、みずからに恥じない″魂の言葉″を歴史に刻みゆく青春を、と――。
 「もう束縛はたくさんです!」――これが、十八世紀の「九十三年」(一七九三年)から、文豪ユゴーが聞き取った、民衆の悲願であった。その声は、今なお地上に満ちている。
 だからこそ私どもは、「人間」の中へ、「社会」の中へ、そして「世界」へ、「平和」へと、大仏法の「人間主義」の翼を、さらに大きく広げゆく。そして、今世紀の「九十三年」(一九九三年)を、民衆の凱歌で、ともどもに飾ってまいりたい。――このことを心から念願し、恩師の命日を記念するスピーチとさせていただく。
 きょうは本当におめでとう。ありがとう!
 (創価大学記念講堂)

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