Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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香港広布三十周年記念総会 広宣の「母なる港」永遠なれ

1991.1.28 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

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7  大聖人は、最大の苦難に直面していた四条金吾に、次のように教えられている。
 「一生はゆめの上・明日をせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず、されば同くは・なげきたるけしき気色なくて此の状に・かきたるが・ごとく・すこしも・へつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならば・あしかりなん
 ――人間の一生は夢の上の出来事のようにはかないもので、明日の命もわからないものである。いかなる乞食になっても、法華経にきずをつけてはならない。ゆえに同じ一生であるならば、嘆いた様子を見せないで、あなた(金吾)が誓いの手紙に書かれたように、少しもへつらわずに振る舞い、語っていきなさい。なまじいへつらうようなことがあれば、かえって悪くなるであろう――。
 「設ひ所領をめされ追い出し給うとも十羅刹女の御計いにてぞ・あるらむと・ふかたのませ給うべし
 ――たとえ所領を没収され、主君があなたを追い出されても、それは、十羅刹女の御計らいであるのだろうと思って、深く信をとり、諸天にゆだねておいきなさい――。
 「日蓮はなが流罪されずして・かまくら鎌倉にだにも・ありしかば・有りし・いくさに一定打ち殺されなん、此れも又御内にては・あしかりぬべければ釈迦仏の御計いにてや・あるらむ
 ――日蓮は流罪されないで、鎌倉にでもいたならば、あの合戦の折に、きっと打ち殺されていたにちがいない。また、あなた(金吾)が追い出されたにしても、それは、あなたが主君の御内にいてはよくないであろうとの、釈迦仏の御計らいなのであろう――と。
 当時、金吾に対する主君の圧迫は、いっそう激しくなっていた。事実上の減俸となる越後(現在の新潟県)への領地替えの内命が下る。これを受けなかったため、領地をすべて没収せよという声さえあった。
 そして、主君からは、法華経を捨てる(信心をやめる)誓約を書くよう強要される。しかし、金吾は、そのような誓約は、決して書かないと大聖人にお誓いする。家来に対して、絶大な力をもっていた主君である。その命に違反することは、一家、一族の生活の基盤を奪われるどころか、生命さえ危ない当時の状況である。そのなかで、金吾は、堂々と大聖人の門下として、強盛なる信心を貫いていくのである。
 その結果、二年後には、金吾の正しさが認められる。没収されていた領地も返されたうえ、新たに三ヵ郷の領地を加増されるという厳然たる功徳の実証を示すことができたのである。
 この御文にも仰せのごとく、信心の途上で起こってくる苦難は、すべて意味がある。時がたち、長い日で見ていけば、「なるほどそうだったのか」「このためにあったのか」と、必ずわかるものである。
 ゆえに目先の出来事に一喜一憂する必要はない。永遠に続く嵐はないように、永遠に続く苦難はない。大事なことは、どこまでも御本尊を信じ、強い信・行・学を貫いていくことである。信心さえあれば、どのような苦難も、宿命転換の機会としていける。福徳と幸福の人生の宮殿を、さらに盤石に築くことができる。一家、一族の繁栄の大道を開くことができるのである。
8  大地を踏みしめ希望に生きぬけ
 まもなく香港でも中国正月(旧正月=今年は二月十五日)を迎える。戸田先生は、亡くなる前年の正月、こう言われた。
 「新年の初頭にあたって、吾人(=私)が同志にのぞむものは、老いたるにもせよ、若きにもせよ、生活に確信ある希望をもち、その希望のなかに生きぬいてもらわなければならないことである。いうまでもなく、その希望に生きぬく生命力は、御本仏日蓮大聖人の御生命である人法一箇にんぽういっかの御本尊にあることを銘記すべきであろう。
 おのれも大地に足を踏みしめ、はなやかな希望に生きるとともに、世の人たちをも同じく大地に足を踏みしめさせて、人生に晴れやかな希望をもたせようではないか」(『戸田城聖全集』第二巻)と。
 喜びに満ちた中国正月を前にして、私は、東洋広布に思いを馳せ、願われていた戸田先生に代わって、皆さま方に、この言葉を贈りたい。
 希望に輝いている人は若い。希望に燃えている人は強い。希望に生きる人は幸福である。どうか、アジアの希望であり、人類の希望である「広宣流布」に、楽しく、朗らかに進んでいただきたい。
 香港の皆さま方の、日々の勝利と日々の幸福、日々の建設を心よりお祈りしたい。そして、三世永遠の栄光の生命の歴史をつづりゆかれんことをお祈りし、私のスピーチとさせていただきたい。できれば、明年もまた来ます。
 (香港文化会館)

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