Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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各部代表研修会 「民衆の金字塔」こそ永遠

1991.1.19 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

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12  ユゴー(一八〇二年〜八五年)とサンド(一八〇四年〜七六年)の生きた時代は、ほぼ重なっている。激しい権力闘争が繰り返された十九世紀フランス。とくに、その半ばごろは、一度は革命によって共和制が実現されながら、人々が託した民主社会実現への希望が、無残にも踏みにじられた時代でもあった。一八四八年六月には、労働者運動を抑圧しようとした議会に対して、パリの民衆が抗議をする。しかし、厳しい弾圧によって抑えられてしまった。新聞も弾圧され、いくつかの政治組織が閉鎖させられた。
 サンド自身、「理想の共和国」をめざす熱烈な行動者であった。それだけに、本来、「民主」を実現するべき指導者たちが、逆に「抑圧体制」協力へと民衆を裏切っていく姿に、だれよりも深い幻滅を味わった。悔しかった。
 こうした暗い世相のなかで、あえてサンドは、心あたたまる美しい田園小説を書き残す。その代表作が『愛の妖精』である。皆さんのなかには、読まれた方も多いと思う。若千、この物語をとおしてお話しさせていただきたい。
 サンドが、なぜ、田園を舞台にした美しい人間性のドラマをつづったのか。
 彼女は、こう思った。″動乱で流された血に対して、もっとも嫌悪と絶望を感じているのは、名もない庶民だ。この人たちは、だれも殺戮や破壊を望んでいないのに″と。
 また彼女は、当時の絵画などが現実社会の陰惨な部分を強調し、人々を暗い気分にさせているのを見て、疑問をいだく。″これが芸術の本来の使命だろうか″″誤解や憎しみが渦巻く時代にあって、人々に希望を与え、勇気づけていくのが文化ではないのか″と。
 いわば、悪意と策謀が渦巻く動乱の時代にあって、どこまでも人間性を武器に、人間らしいやさしい感情や、昔ながらの心の正しさを示しながら、社会の空気を変えていきたいと願ったのである。暴力に対する″文化の闘士″、民衆を裏切る変心の指導者に対する″信義と友情の戦士″――それがサンドの横顔であった。
13  こうして生まれたサンドの名作『愛の妖精』は、中部フランスの田園地帯が舞台であった。主人公は、野性児ともいうべき自由奔放な少女ファデット。彼女は、双子の兄弟との愛と葛藤のなかで、美しく聡明な女性として生きていく。
 しかし、ファデットは、家柄が良かったわけではない。家庭環境に恵まれていたわけでもない。少女時代は「ちっぽけで、やせっぽちで、髪の毛を振り乱して」(宮崎嶺雄訳、岩波文庫)、見栄えもよくなかった。近所の人々から「こおろぎ」とあだ名され、いじめられる。作者サンド自身の少女時代が、一つのモデルとなっているという。
 だが、この少女には、人の悩みや感情を鋭く読みとる天性の力があった。そして、成長するにつれ、持ち前の清らかな心、強い意志、知恵を発揮し、恵まれない境遇も、複雑な人間関係も、すべてを「幸福」の方向へと回転させていく。
 ファデットは、思いやり深い乙女であった。どんなに苦悩に沈んだ人でも、心の眼を開きさえすれば必ず蘇生し、幸せになれると信じていた。「心の勝利」が「人生の勝利」をもたらすのである。
 また、それを分かってもらうために、言うべきときには、遠慮なく言いきった。それが、その人を助けることになるのだ――と。
 その毅然としたさわやかさ、清々しさ。それが彼女の、ありのままの姿であり、もともと備えていた魅力、人間性、生き方であった。そして、そのあたたかな人間性をもって、人生を苦悩の闇にしばりつける″鎖″を解き放ち、幸福になる力を与えていったのである。
14  いかなる苦難にも悠々たる気概で
 ここで御書を拝したい。大聖人の御一生は、権威、権力からの迫害の連続であった。しかし、いかなる法戦にあっても、大聖人は、微塵も臆することなく、むしろ権威を悠然と見おろされながら堂々と進んでおられる。
 文永八年(一二七一年)九月十二日、鎌倉幕府の実力者であった平左衛門尉は、大聖人を召し取ろうと、物々しく武装した数百人の武士を率いて松葉ヶ谷の草庵を襲撃する。
 「種種御振舞御書」には、そのときの模様を、次のように仰せである。
 「日蓮・大高声を放ちて申すあらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、とのばら殿原但今日本国の柱をたをすと・よばはりしかば上下万人あわてて見えし、日蓮こそ御勘気をかほれば・をくして見ゆべかりしに・さはなくして・これはひがことなりとや・をもひけん、兵者どものいろこそ・へんじて見へしか
 ――日蓮(大聖人)は大高声で彼らにこう言った。「なんと、おもしろいことか。平左衛門尉が、ものに狂っている姿を見よ。おのおのがたは、ただ今、日本国の柱を倒すのである」と叫んだところ、その場の者すべてが慌ててしまった。日蓮のほうこそ御勘気を受けたのであるから、おじけづいて見えるべきであるのに、そうではなく、逆になったので、″この召し捕りは悪いことではないのか″とでも思ったのであろう、兵士たちのほうが顔色を変えてしまったのが見えた――と。
 大聖人お一人を召し捕るのに、数百人からの武士を従えて乗り込んだ平左衛門尉の行動は、まさに″狂気の沙汰″ともいうべき仕業であった。
 この常軌を逸した行動は、彼らの臆病さを示している。権力者というものは、自分の意にそわないものや、正義の声を極度に恐れる。その臆病な心が、時として常識では考えられない、なりふりかまわぬ暴挙へと走らせるものである。
 そうした権力者の本質を鋭く見ぬかれた大聖人は「なんと、おもしろいことか」と一笑され、「ものに狂っている姿を見よ」と一喝されている。すると大聖人を捕らえにきた者たちが、反対に「早まったかな」と顔色を変えるのである。(笑い)
 御本仏の悠然たる御境界に対して、権威、権力の狂った迫害の姿が、なんとみじめで、哀れに見えることか。
 私どもは、御本仏日蓮大聖人に連なった地涌の門下である。大聖人の御遺命のままに広宣流布に走りぬいてきた信仰勇者である。
 私どもを、つねに大聖人が見守ってくださっている。ゆえに、居丈高な非難や迫害があったとしても、風の前の塵のようなものである。何も恐れる必要はない。「ああ、おもしろいことだ」と朗らかに笑いとばしながら、獅子王のごとく悠然と進んでいただきたい。そして、賢明にして勇気ある行動をもって、希望に満ちた広布の″新しき扉″を開かれんことを念願し、本日の研修としたい。
 (学会別館)

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