Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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海外、国際部代表研修 「人間尊重」が仏法の精神

1991.1.18 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

前後
10  この一人の庶民の率直な″心の叫び″は、やがて世論のうねりを起こし、時流を変えていった。
 これまで偽りの自白を強いられていた人々も、勇気をもって″真実″を語り始めた。これは、それまでの陰惨な魔女裁判の歴史にはなかったことである。
 ついに一六九三年五月、獄中にあった人々は全員釈放される。
 さらに三年後の一六九六年一月には、セーレムの魔女裁判に立ち会った十二人の陪審員が連名で、自分たちの行った裁判の誤りを認めた。
 いわく「われわれが不当にも傷つけたすべての人々に赦しを乞い、二度とこのような誤りを繰り返さないことを、全世界に向って言明する」(前掲『魔女狩り』)と。
 一人の庶民の″正義の叫び″はついに勝った。勇気ある、そして粘り強い叫びが、人間の中にひそむ恐ろしい″狂気″を押しとどめた。「人間性の復興」へと時流をも動かした。
 もちろん、彼の成功は中世的な魔女迷信の力が衰えていたという時代背景にもよっている。それはそれとして、このセーレムに「近代の夜明け」をもたらしたのが、一個の無名戦士であったという歴史は不滅の輝きを放っている。
 新しい歴史、新しい時代を開くのは有名の人でも高位の人でもない。地から涌き出るごとき民衆の″心からの叫び″なのである。
11  民衆の勝利の歴史を後世に
 きょうも最後に、御書を拝したい。
 「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ
 ――苦を苦と悟り、楽を楽と開き、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経と唱えていかれることです。これこそ自受法楽(法による楽しみを自ら受けること)ではないですか。ますます強盛な信力を出しておいきなさい――と、大聖人は四条金吾に仰せである。
 これは建治二年(一二七六年)、金吾が同僚にも憎まれ、主君・江間氏からも冷遇されていたころのお便りである。短い一文であるが、ある意味で、私どもにとっての信心の精髄を教えられた御文と拝される。
 何があろうとも、私どもは御書に従い、善意に従い、悪意に満ちみちた行為をすべて見おろしながら、妙法の「歓喜の中の大歓喜」を楽しんでいける。その「強盛の信力」の境涯にこそ、幸福の実体がある。
 何もないことが現世安穏なのではない。最後まで悠々と現実に挑戦しきっていける不動の境涯――そのなかに現世安穏はある。
 他人や環境に支配されて、幸、不幸を感じる生き方には、真実の幸福はない。強き一念をこめ、朗々と唱題しつつ、洋々たる心境で、すべてを功徳と勝利の方向へ、広宣流布の方向へと導いていける勇士であっていただきたい。
 私どもは皆、広布の同志である。ゆえに何があっても仲良く、「苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経」の信心で進みたい。この団結の前進にこそ「世界広宣流布」を教えられた御本仏の御精神にかなった姿があると信ずる。
 本年が、皆さまにとって、永遠の歴史をつづりゆく意義ある年となることを願って、本日の研修としたい。
 (東京。新宿区内)

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