Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

江東、墨田、杉並三区合同記念幹部会 大勇の信心で広宣流布を

1990.12.24 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

前後
14  檀那とは「施主」
 ここでさらに御書を拝しておきたい。日蓮大聖人は「曾谷入道殿許御書」にこう仰せである。
 「風聞の如くんば貴辺並びに大田金吾殿・越中の御所領の内並びに近辺の寺寺に数多あまたの聖教あり等云云、両人共に大檀那為り所願を成ぜしめたまえ
 ――私(大聖人)の聞くところによれば、あなた(曾谷教信)と大田乗明殿の越中(富山)のご領地内と近辺の寺々に、多くの仏典があるということです。お二人はともに私の大檀那でありますから、仏典を収集しようとする私の願いを成就させてください――と。
 この御文で、大聖人は、曾谷入道や大田金吾を「大檀那」と呼ばれている。
 ちなみに、大聖人は御書の中で、在家の門下の人々に対して、「檀那」という言葉をもっとも多く用いられている。「檀那」あるいは「檀越」は、もとは梵語で″供養を施す者″という意味である。「施主」すなわち″施す主″と訳される。仏法のために御供養する人々への尊敬の念がうかがえるお言葉である。
 また「信者」という語を見てみると、具体的に在家の人の名前を挙げられて「信者」と呼ばれているのは、『御書全集』で一カ所である。(=「日本には・かたならぶべき者もなき法華経の信者なり」の御文。ここでは、命を賭して信仰に励んでいた四条金吾を日本一の法華経の信者と称えられている)
 さらに、大聖人はこう続けられている。
 「涅槃経に云く「内には智慧の弟子有つて甚深の義を解り外には清浄の檀越有つて仏法久住せん」云云、天台大師は毛喜もうき等を相語らい伝教大師は国道くにみち弘世ひろよ等を恃怙む云云
 ――涅槃経の文には「内には智慧の優れた弟子がいて仏法の甚深の法理を理解し、また外には清浄の檀越があって、仏法は久住する」と説かれている。天台大師は、陳の国の毛喜大臣等と相語らい、伝教大師は、大伴国道や和気弘世等をたのまれた(外護の頼りとされた)――と。
 涅槃経の文を引かれて、仏法を守り弘めていくためには、甚深の義を解った智慧の弟子とともに、外護の檀那が大切であることを述べられている。外護の檀那を絶対におろそかにしてはならないとの教えと拝する。また大聖人は、天台大師や伝教大師の例を引かれて、僧俗が「相語らう」(よく話し合う)ことの大切さを示してくださっている。これが大事と拝する。この点を、見落としてはならない。ここに真の「和合」の一つの意義がある。(拍手)
15  最後に、皆さま方の一年間のご苦労に、重ねて感謝し、讃嘆申し上げたい。そして、最高に晴れがましい新年をお迎えくださるよう、祈り、願って、私の本日のスピーチとしたい。
 (創価国際友好会館)

1
14