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日蓮大聖人・池田大作

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第三回男子青年部幹部会・創価班、牙城会… 永遠なる「魂の勝利者」の道を

1990.12.9 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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23  「深き人生」を行動の中に
 ともあれこの一年間、諸君は私とともに、すばらしい広布の歴史をつづってくださった。来年もまた、見事なる活躍をお願いしたい。
 日興上人は「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」――いまだ広宣流布していない間は、身命を捨てて、各人の力に応じて妙法弘通に励んでいくべきこと――と仰せである。この「随力弘通」の精神を満々とたたえながら、健康で、勇気と希望あふれる前進を重ねていかれんことを願ってやまない。(拍手)
 どうか、よいお正月を、楽しいお正月を迎えていただきたい。各会館での新年勤行会も、青年部の諸君がはつらつとリードして、最高の出発にしていってほしい。勤行のあとは、幹部のあいさつもできるだけ簡潔にして(笑い)、元気よく、気持ちよく新春のスタートを切っていくことが大切である。若い力と″新思考″を存分に発揮して、創立七十周年へ晴れやかに船出する原動力となっていただきたい。(拍手)
 信心の世界は、はつらつと、歓喜に燃えて頑張ったほうが″得″である。その行動力の分だけ、自分自身が「永遠の幸福」の軌道を生きることになるからである。
 最新鋭ロケットの噴射のように(笑い)、ぐんぐんと勢いを増しながら、永遠なる「境涯の宇宙」を遊戯していくか。逆に、元気よく飛び出したものの(笑い)、途中で失速し、墜落してしまうか。すべては自身の「一念」で決まる。
 信心の「一念」の姿勢によって、燦々たる陽光のような人生を歩むこともできれば、業火や風雪に閉ざされた不毛の人生にもなる。これが生命の厳しき因果の法則なのである。
24  信心は「行動」である。妙法蓮華経の「経」にも、広くいえば、「行動」「振る舞い」の意味がある。広布のために動いた分だけ、自身の境涯も、福運も、無限に開けていく。
 人生それぞれ自由である。どう生きようが、どう遊ぼうが、とやかく言う必要もなければ、とやかく言われる必要もない。それを前提としたうえで、妙法の信仰は、自分自身の「深い境涯」を開き、「深い福運」を積み、「深い人生」を生きていくためのものである。また縁する人々をも全部、幸福の方向へと導いていける。
 ゆえに私は、信仰だけは、「強き信心」に生きぬけと申し上げたい。
 結局、最後に幸せになった人が得である。また、勝利した人が得である。途中のよしあしや楽しさに幻惑され、それと最終章の厳しき勝負とをはきちがえてはならない。このことを教えるのが真実の仏法である。百千万億劫の功徳を、ともどもに大輪の花と光り輝かせていくための、今世の信心の闘争なのである。(拍手)
 ともあれ、いかに悲しく、また苦しいことがあっても、かの喜劇王チャップリンのごとく、「明朗王」として生きぬいていかれんことを心から念願し、本日の私のスピーテとしたい。この一年間、本当にありがとう。ご苦労さま!
 (創価国際友好会館)

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