Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十四回全国婦人部幹部会 幸福を開くのは自分自身

1990.11.30 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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17  教養とは「自分を育てる」こと
 もう一方、『主婦と生活』誌のインタビューは、「『女性の時代』は『知恵の時代』」というタイトルになった。
 最近の傾向として、女性の間で「心の豊かさ」「知的向上」を求める声が、非常に強くなってきているという。やはり「英知の時代」である。いいかえれば、本当の意味での「教養」、すなわち「自分をどう育てるか」が問われる時代になってきたということであろう。
 そうした背景をふまえて、″教育とは何か″″幸福とは何か″について、大要、次のようなお話をした。
 教養を磨く、自分を育てるといっても、むずかしく考える必要はない。「人の気持ちに敏感であること」「希望をもって前向きにとらえていく強さ」――これも「教養」である。そして創造的に、自分も人も楽しく生きていくための「知恵」。心の工夫。これがもっとも大切である。
 では、どうすれば本当の教養を身につけることができるか。結論していえば、「学ぶ」心を失わないこと、そして″自分自身に生ききること″である。
 一例として、海外のある世界的な版画家の話をさせていただいた。
 彼の作品の偽物が現れた。当人が見ても、本物よりうまい(笑い)。しかし、この作品は見る人の心を動かさなかった。なぜか。偽物は、「よく見せよう」として、上手に、きれいに刷ってある。本物は一見、汚れているが、ひたむきな人間の″いのちの火″がこもっている。その炎の″熱″が、見る人の胸に迫ってくる――。
 人生も同じである。だれかに見せるための人生ではない。自分自身の幸福のために生きるのである。ここに戸田先生が強く叫ばれた眼目もある。
 自分自身の生命の炎を、とことん打ち込んでつくり出す創造――これが本当の人生である。そして信仰はそのエンジンである。人間は「自分への挑戦」をやめない限り、どこまでも伸び続けていくことができる。
 私どもの信仰上の行動においても、時間をやりくりして会合に参加すること、題目を唱え、弘法に、同志の激励にと走ること――すべてが挑戦である。この着実な一歩一歩が、自分を育て、伸ばしていく。
 「自分への挑戦」ではなく、他人に見せるための、人との比較や虚栄にとらわれると、成長が止まってしまう場合が多い。また、それではあまりにも自分自身がむなしい。
 ともあれ、長い人生行路、生活の行路において、″みずから勝ち取った幸福″だけが真実の幸福である。与えられた幸福は、もろい。人の不幸の上につくった幸福には、陰りがともなう。
 結婚したから幸福か――。そんなに簡単なら苦労はしない(笑い)。結婚したゆえに不幸な人、一生、後悔する人は、たくさんいる(笑い)。家を建てたから、社長になったから、代議士になったから幸福か――。そんなものでは決まらない。
 婦人部の皆さまは、もっと「深い幸福」を、絶対に「崩れない幸福」をつかみ取ってほしい。これを胸中に開くのが妙法の信心である。(拍手)
18  どうか健康で朗らかに、悩みをも楽しみへと転じながら、賢明に生きぬいていただきたい。よく工夫して体を休めることも大事である。そして、ご主人を聡明に″操縦″し(爆笑)、子どもには、毅然としてあたたかい″広布の母″の祈りを送りゆくことである。子どもの成長は、親の姿を恐ろしいほどに映しだしているものだ。
 最後に、すばらしきご夫婦で、親子で、すばらしき家庭を築きゆかれんことを心からお願いし、また、皆さま方のご一家が、ますますご多幸でありますようお祈り申し上げ、本日のスピーチとさせていただく。
 どうか皆さま、風邪をひかれませんように。お元気で!
 (創価国際友好会館)

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