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日蓮大聖人・池田大作

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熊本、大分合同記念会合 信仰はたゆみなき生命の革新

1990.9.28 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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9  (3)献身の行動
 次に、第三の「献身の行動」に触れておきたい。
 体を動かすことは、もとより健康増進のための大きなポイントである。そのなかでとくに、法のため、人のため、社会のために尽くしゆく行動が、どれほど生命を革新させ、はつらつと人生を生きる源泉となりゆくことか。
 それを、人のために体を動かすことを面倒に思ったり、利己主義、悪しき個人主義のカラに閉じこもって、人々のために行動しないようになれば、これはまさに心身の停滞となる。そこに病魔もつけ入りやすくなる。
 人間を含め、動物とは″動くもの″である。みずから動かなければ、本石にも等しい。また、生命の躍動をもつものが″動き″を失えば、腐ってしまう。
 川の水も同じである。流れがよどみ停滞すれば、いつしか濁って、変質する。妙法の世界にあっても、献身の行動をいとい、退転した人間は、信心の清流が濁り、心が腐ってしまった姿にほかならない。
 それに対し皆さまは、弘法に、同志の激励に、また地域の発展のために、尊い「献身の行動」を、日夜、展開されている。
 たまには、「きょうは、家でゆっくリテレビでも見ているほうが楽だな」(笑い)と思われる人がいるかもしれない。しかし、人々のために、妙法の友のために、心軽やかに歩き、動いたほうが、どれだけ充実した日々となっていることか。
 さらに、現代は「ストレス社会」といわれる。自身を取り巻くすべての環境が、ストレッサー(ストレスの因となる刺激)となりうる。
 ストレスは、一次元でいえば″心に加えられる外からの攻撃″である。それと戦わねばならない。じっとしていれば、その圧迫に押しつぶされ、心身ともに破壊されてしまう。
 みずから外に打って出る行動。これがストレスをはね返す最善の方法とはいえまいか。その意味でも、御本尊へ連なった私どもの行動は、もっとも生命の法則にかなった蘇生と活性化の行動なのである。
 また、「歩く」ことの意義については、これまでも何度かお話ししたが、運動不足の解消のためには、一日一万歩が一つの目安になるという。
 ある統計によれば、平均的サラリーマンの一日の歩行数は八千二百八十歩。主婦では八千六百二十歩。つまり、普通に生活するだけでは、なかなか一日一万歩を歩くことはできないわけである。
 「老化は足から」といわれるが、学会活動で歩いた分は、体力の維持、健康の増進にとっても大きなプラスとなる。
 御書には、こう仰せである。「人のために火をともせば・我がまへあきらかなる」――人のために灯をともせば、その光は自分の前をも明るくする――と。
 友に希望の光を送りゆく「献身の行動」は、そのまま、自身の生命を、みずみずしい希望で照らし、福徳で輝かせていくのである。
10  (4)教養のある食生活
 第四に「教養のある食生活」である。
 「食いしんぼう」は肥満のもとである。(笑い)
 御書にも「飲食節ならざる故に病む」――食事の不節制のゆえに病気になる――との仰せがある。不節制な食生活をどう正していくか、必要以上に食べたいという欲望を、どう上手にコントロールしていくか。そこにも教養と人格があらわれる。
 とくに、ドクター部、白樺グループの方は、夜食のとりすぎを心配されていた。学会活動を終えたあと、つい夜食をとりすぎてしまうという場合もあるからだ。
 しかし、医学的にも、寝る前の三時間は食べないほうが望ましい。どうしても、おなかがすいて我慢できないという場合には、野菜などカロリーの低いものですませるよう工夫したい。
 ともあれ、皆さま方は広宣流布にとっても、それぞれの一家にとっても大切な方々である。肥満から糖尿病や、さまざまなやっかいな病気になったりしてはたいへんである。
 教養ある食生活で、快適な日々であっていただきたい。自身の体は、自分で責任をもって管理していくことである。
 どうか、「森の都」の、この熊本で、また大分の天地で、心身ともに健康で、すばらしき生活を送っていただきたい。そして、すがすがしい信心と同志愛で、この尊い一生を、勝利と幸福で飾っていただきたい、と申し上げ、スピーチを終わらせていただく。また、お会いしましょう。
 (熊本平和会館)

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