Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十二回SGI総会 三世にわたる幸福の王者に

1990.9.5 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

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6  「哲学」と「慈悲」と「智慧」の力で
 ここで海外での弘法のあり方について確認しておきたい。
 日達上人は、創価学会第六十四回本部幹部会(昭和四十年八月)の折、この点について指南されている。
 そのなかで日達上人は、「謗法の国」である日本では、折伏を表としていかなければならない。しかし、いまだ仏法の流布していない海外にあって、折伏を表として説いたならば、混乱を生ずる場合がある、と指摘され、次のように示されている。
 「これらの国々(=アメリカ、ヨーロッパ等)においては、四悉檀をもって、あるいは為人悉檀、あるいは世界悉檀等、随方毘尼をもって流布する事が、もっともよいのではないかと考える次第でございます」(『日達上人全集』)と。
 「四悉檀」とは、仏が衆生に対して、どのように法を説いたかを四種に分けたもので、私どもの弘法の方軌も、ここに示されている。この四種のうち「為人悉檀」とは、人それぞれの資質や能力、境涯に応じて法を説くこと。また「世界悉檀」とは、一般世間の考え方や、望み欲するところにしたがって法を説くことをいう。
 そして「随方毘尼」とは、仏法の本義にたがわない限り、各地域の風俗・習慣や、時代の風習に随ってもよいという意味である。
 まことに、日達上人は、現実に照らし、歴史的な流れのうえからも、明快な指導をしてくださったと、私は確信している。
 万年の未来のため、今は仏法をその国に根づかせていくことが大事である。あせってはならない。根を張ることがもっともたいへんであるし、もっとも尊いのである。どうか、聡明に、社会を大切にしながら、着実な前進をお願いしたい。
 また現在、私どもが世界で進めている、仏法を基調とした「平和」「文化」「教育」の運動も、この指南にのっとったものなのである。(拍手)
7  ただ、日本は邪智謗法の国であるがゆえに、折伏の中の折伏である。
 学会が、大聖人の仰せどおりに、今日まで熾烈な広宣流布の戦いを展開してきたことは、皆さまのご存じのとおりである。「折伏」が大聖人の仏法の根本義だからである。
 だれ人が、恐れることなく、この実践をしてきたか――。それは私どもである。学会こそが破邪顕正の戦いを日夜にわたって実践、実行してきたことは、最高の誉れであり、必ずや三世十方の仏・菩薩が御照覧のことと確信する。
 折伏行を展開してきたがゆえに、御書に述べられているごとく、大難がつねにあった。逆に言えば、難がないのは、折伏をしていない証拠とはいえまいか。(拍手)
 戸田先生は、海外に雄飛する青年を、こう励まされていた。
 「気負うことはないんだよ。みんなから好かれる人となることだよ、弘法といっても、そこから始まるんだ」と。
 仏法の精髄は「人の振る舞い」にこそある。一人一人が、信仰をとおして磨いた「人格」の力で、さわやかな信頼の輪を広げていく。そうした、身近な現実のなかでの地道な行動にこそ、広布の発展があることを忘れないでいただきたい。
 これからもさらに、世界にSGIの平和と文化のネットワークを広く深く結んでいきたい。その意味で、今後予定されている海外交流について紹介しておきたい。
 まず、今秋、関西から四十人の交流団がアメリカを訪れる。また、来年初め、熊本県から八十人が香港を訪問。春には、全国の代表メンバーによる文化交流団がヨーロッパヘ行くことになっている。さらに夏には、青年部の代表三百人による大規模な交流団が中国を訪問。また同時期、インドには第二回の青年文化訪問団を予定している。
 今夜の月は満月である。どうか、きょう、お集まりの皆さま方が、一人ももれなく「満月のごとき充実の人生、悔いなき人生、幸福の人生」を満喫されゆくことを心からお祈りし、私のスピーチを終わりたい。
 (埼玉文化会館)

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