Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第十二回SGI総会 三世にわたる幸福の王者に

1990.9.5 スピーチ(1990.8〜)(池田大作全集第75巻巻)

前後
3  時代の潮流は「地球民族主義」ヘ
 昭和二十七年(一九五二年)二月、青年部の第一回研究発表会の折、戸田先生は″私自身の思想は地球民族主義である″と語られた。
 一国を超え、一民族を超え、人類という見地から、一人一人が地球民族、世界民族としての自覚をもつ時、おのずと争いのない平和な社会が現出するにちがいない。
 戸田先生は、イデオロギーを″主″、人間を″従″とする、当時、支配的であった思想から、人間を″主″、イデオロギーを″従″とする新しき思想への転換の必要を鋭く見とおしておられた。
 当時の社会は、この考え方を受け入れようとはしなかった。むしろ偏狭なイデオロギ‐に固執し、そのイデオロギーの大義名分のもとに、自国の利益を第一義とした行き方を、とくに大国といわれる国々はとってきたように思う。しかし、ボーダーレス(国境のない)時代といわれる今日、人々が求めているのは、この人間主義に立った地球民族主義の思想と実践といえよう。
4  戸田先生自身は、一度も海外へ出ることはなかった。しかし、私は弟子として、恩師の理念と行動と信念を必ずや世界に証明せんとの強き心を、つねにいだいていた。そして、今から三十年前の昭和三十五年(一九六〇年)十月二日、世界広布への第一歩を踏みだしたのである。
 折しも、この年、キューバをめぐる米ソの対立は、核戦争への危機をはらみながら険悪化の道をたどっていた。
 また次の年、私は、初訪問のドイツで、東西分断の象徴となった「ベルリンの壁」の前に立った。
 こうした「対立」と「分断」の時代状況のなか、私は一人の人間として、また仏法者として、民衆の連帯による世界平和への波動を起こすべく、行動を開始した。それは「人間」の変革、「時代」の変革への挑戦であった。
 以来、三十年。今、歴史は大きく変わろうとしている。昨年(一九八九年)の十二月には、米ソ首脳により″冷戦の終結″が宣言された。また、「ベルリンの壁」も撤去され、今年の十月三日には、東西ドイツの統合をみることになっている。奇しくも、その前日の十月二日は、私どもが「世界平和の日」としている記念日である。いまや新しき民主と平和のうねりが、世界へと広がっているのである。
5  さて、大聖人はこう仰せである。
 「我等凡夫はまつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし、我等が心の内に仏はをはしましけるを知り候はざりけるぞ
 ――私たち凡夫は、近くにあるまつげと遠くにある虚空(大空)を見ることはできません。それと同じように、私たちの心の中に仏がおられるのを知らないでいたのです――と。
 今、ようやく人類の眼は、″人間それ自身″へと向かい始めた。その人間の「内なる生命」に、旭日の輝く天空のごとき大境涯が、限りなく、また永遠に広がっていることを、仏法は示している。
 私どもは、この哲理を胸にいだきながら、一人の人間が、どれほど尊厳であるか、どれほど高貴であるか、どれほど強靱であるかを、この人生において証明しぬいていきたい。
 とともに御書には、このように述べられている。
 「仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし
 ――仏法を持った者は、仏を敬うがごとく、互いに尊敬しあうべきである。たとえば、法華経宝塔品の儀式のとき、多宝如来が半座を分けて釈迦仏を迎え、二仏が並座(並び座る)したように、互いに尊敬しあわなければならない――と。
 どうか皆さま方は、この大聖人の仰せのとおりに、お互いに最大に尊敬し、守り合いながら、最高にうるわしい人間共和の世界を、それぞれの国、それぞれの地域で、つくりあげていただきたい。(拍手)
6  「哲学」と「慈悲」と「智慧」の力で
 ここで海外での弘法のあり方について確認しておきたい。
 日達上人は、創価学会第六十四回本部幹部会(昭和四十年八月)の折、この点について指南されている。
 そのなかで日達上人は、「謗法の国」である日本では、折伏を表としていかなければならない。しかし、いまだ仏法の流布していない海外にあって、折伏を表として説いたならば、混乱を生ずる場合がある、と指摘され、次のように示されている。
 「これらの国々(=アメリカ、ヨーロッパ等)においては、四悉檀をもって、あるいは為人悉檀、あるいは世界悉檀等、随方毘尼をもって流布する事が、もっともよいのではないかと考える次第でございます」(『日達上人全集』)と。
 「四悉檀」とは、仏が衆生に対して、どのように法を説いたかを四種に分けたもので、私どもの弘法の方軌も、ここに示されている。この四種のうち「為人悉檀」とは、人それぞれの資質や能力、境涯に応じて法を説くこと。また「世界悉檀」とは、一般世間の考え方や、望み欲するところにしたがって法を説くことをいう。
 そして「随方毘尼」とは、仏法の本義にたがわない限り、各地域の風俗・習慣や、時代の風習に随ってもよいという意味である。
 まことに、日達上人は、現実に照らし、歴史的な流れのうえからも、明快な指導をしてくださったと、私は確信している。
 万年の未来のため、今は仏法をその国に根づかせていくことが大事である。あせってはならない。根を張ることがもっともたいへんであるし、もっとも尊いのである。どうか、聡明に、社会を大切にしながら、着実な前進をお願いしたい。
 また現在、私どもが世界で進めている、仏法を基調とした「平和」「文化」「教育」の運動も、この指南にのっとったものなのである。(拍手)
7  ただ、日本は邪智謗法の国であるがゆえに、折伏の中の折伏である。
 学会が、大聖人の仰せどおりに、今日まで熾烈な広宣流布の戦いを展開してきたことは、皆さまのご存じのとおりである。「折伏」が大聖人の仏法の根本義だからである。
 だれ人が、恐れることなく、この実践をしてきたか――。それは私どもである。学会こそが破邪顕正の戦いを日夜にわたって実践、実行してきたことは、最高の誉れであり、必ずや三世十方の仏・菩薩が御照覧のことと確信する。
 折伏行を展開してきたがゆえに、御書に述べられているごとく、大難がつねにあった。逆に言えば、難がないのは、折伏をしていない証拠とはいえまいか。(拍手)
 戸田先生は、海外に雄飛する青年を、こう励まされていた。
 「気負うことはないんだよ。みんなから好かれる人となることだよ、弘法といっても、そこから始まるんだ」と。
 仏法の精髄は「人の振る舞い」にこそある。一人一人が、信仰をとおして磨いた「人格」の力で、さわやかな信頼の輪を広げていく。そうした、身近な現実のなかでの地道な行動にこそ、広布の発展があることを忘れないでいただきたい。
 これからもさらに、世界にSGIの平和と文化のネットワークを広く深く結んでいきたい。その意味で、今後予定されている海外交流について紹介しておきたい。
 まず、今秋、関西から四十人の交流団がアメリカを訪れる。また、来年初め、熊本県から八十人が香港を訪問。春には、全国の代表メンバーによる文化交流団がヨーロッパヘ行くことになっている。さらに夏には、青年部の代表三百人による大規模な交流団が中国を訪問。また同時期、インドには第二回の青年文化訪問団を予定している。
 今夜の月は満月である。どうか、きょう、お集まりの皆さま方が、一人ももれなく「満月のごとき充実の人生、悔いなき人生、幸福の人生」を満喫されゆくことを心からお祈りし、私のスピーチを終わりたい。
 (埼玉文化会館)

1
3