Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一回男子青年部幹部会 自らの栄光の記念碑築け

1990.6.26 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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24  魔軍との戦いについて、大聖人は、こう描写されている。
 「第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土どうこえどを・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし
 ――第六天の魔王が、十の軍隊をもって戦争を起こし、法華経の行者と″生死の苦しみの海″の中で、同居穢土(娑婆世界のように、六道の凡夫と四聖〈声聞・縁覚・菩薩・仏〉が同居する国土)を、「取られまい」「奪おう」と争う。日蓮は、その身にあたって、仏の大軍を起こして二十余年になる。その間一度も、退く心はない――。
 魔の十軍とは、煩悩の軍隊のことである。『大智度論』(大正三十五巻)では次の十種を挙げている。
 すなわち
 (1)欲。五欲にとらわれて、修行を怠るようになる。
 (2)憂愁。気がふさぎ、ものうくなってくる。
 (3)飢渇。うえとかわきにさいなまれる。
 (4)渇愛。愛欲や執着によって堕落していく。異性への愛着や、酒などの快楽におぼれる姿も、これに関係していよう。
 (5)睡眠。まったく眠るなということではなく、惰眠を続けるような真剣でない生活であり、態度といえよう。眠りをさくような向上への努力もせず、要領よく生きていく人生をも含むかもしれない。
 (6)怖畏。おそれに負けて臆病になる。
 (7)疑悔。修行者をそそのかせて、疑いと悔いを起こさせる。
 (8)瞋恚。怒りの心によって、修行が妨げられる。
 (9)利養虚称。名利と虚名にとらわれて、成仏への道を踏みはずす。
 (10)自高蔑人。自己を高くし、人を見くだす。
 これは、これまでの反逆者に共通する傲慢な生命であった。また彼らは、要するに、この十の魔軍にみずから敗れ、捕らわれて、向こうの陣についてしまった者たちである。
 この魔軍を打ち破る武器は何か。それはただ一つ、信心の利剣以外にはない。
 ゆえに広布のリーダーは、第一に″信心強き″勇者でなければならない。そうでなければ、どんなに優秀なリーダーに見えたとしても、根本的次元における魔との″生命の戦い″に勝利することはできない。
 「信心」が強いかどうか、それが真の強者か否かの基準なのである。
 ともあれ、この御文のとおり、宇宙という「生死の海」(苦しみの海)を舞台に、仏と魔との壮絶な戦いが繰り広げられていると、大聖人は仰せである。
 宇宙全体が″勝負の世界″なのである。創造の力と破壊の力。″調和コスモス″へのエネルギーと″混乱カオス″ヘの乱気流。″結びつける″慈愛の力と″切り離す″憎悪の力。生と死、光と闇、幸福と不幸、前進と後退、上昇と下降、開放と閉鎖、希望と絶望、″生かす″エネルギーと″殺す″衝動――。幸福になりゆく法則に従うか、反対に、黒い不幸の世界に化していく天魔に従属してしまうかである。
 絶対に私どもは、永遠に幸福になりゆく法則に従い、崩れざる常楽の世界をつくりゆかねばならない。これが仏法者の使命である。いうなれば、「光の軍隊」が仏の軍勢なのである。
25  仏の戦いを諸天は守護
 さて、そうした仏の戦いを、諸天は、将軍または強兵として必ず守る。
 「衆生身心御書」には、こう述べられている。
 「此の経文を・つよく立て退転せざるこわ物出来しなば大事出来すべし、いやしみて或はり・或は打ち・或はながし・或は命をたんほどに・梵王・帝釈・日月・四天をこりあひて此の行者のかたうど方人を・せん」云云。
 ――この経文(「已今当」の経文のこと。過去・現在・未来に説く一切の経より、法華経は優れているとの法華経法師品の経文)を強く立て、退転しない強者が出現すると、必ず大事が起こる。すなわちこの人を、いやしんで、あるいは悪口し、あるいは暴力を加え、あるいは流罪し、あるいは命を断とうとするので、大梵天王、帝釈天、日月、四天(持国天・増長天・広目天・毘沙門天の四天王)が怒って、この行者の味方をする――。
 いうまでもなく、これは大聖人御自身のお振る舞いのことである。とともに、総じて、御書のまま、経文のままに、強盛な信心を貫き、諸難を受けきっていく勇者が出る時、必ずや梵天・帝釈等も動きだして、守る働きを始めるとの原理を教えてくださっていると拝される。
 私は、諸君に、そうした勇者になっていただきたい。これこそが、成仏という永遠に崩れざる幸福の「大境涯」への軌道であるからだ。難を受けきって、境涯を開きに開いていく。ここに、人生の究極も、仏法の真髄もある。
 そして、この妙法は、世界のいかなる著名人、指導者といえども持っていない大法である。妙法受持の人の福徳と歓喜は、世間の栄誉や喜びとは比較にならないほど、深く大きい。また尊い人生となる。
 諸君は胸中深く、そのことを確信し、誇りとしていっていただきたい。そのうえで、現実の舞台で断じて″勝つ″強き男性であっていただきたい。(拍手)
 どうか、だれよりも勇気ある、また伸び伸びとした、価値ある人生を送っていただきたいと念願し、記念のスピーチを終わりたい。
 (創価文化会館)

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