Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二十七回本部幹部会 生涯若々しく生命の勝利者に

1990.3.27 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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11  出でよ正法の「大実践者」
 先日、十八年ぶりに東京の福生を訪れた。この福生は、私にとっても若き日の法戦の地であった。
 昭和二十八年のこと。福生で、ある宗派から学会員の御本尊がたびたび強奪されるという事件が起こった。そこで、御本尊をお護りするために、また会員を守るために、私が中心となって行動することになった。
 私も急速、福生の地に飛び、正法護持のために数人の青年とともに戦った。そのときの光景は、今でも絵のように懐かしく思い起こす。
 それ以来、福生ではそうした動きがなくなった。戦えば魔は退いていくのである。
 福生だけではない。私ども青年部は、戸田先生のもとで、各地の法戦に勇んで走った。当時は経済的にも苦しかった。どこに行くにもたいへんな時代である。そのなかで、青年部が全責任をもって行動し、勝ってきた。そして、一つまた一つと正法の世界を広げ、広布の道を切り開いてきたのである。
12  さて昭和二年の秋、日亨上人は、こう書かれた。
 「吾人の衷心の願求は其等本仏論者よりも本仏行者の出現である。平凡の行者は随時随所に溢れておるから、望ましくもない。非凡な画時代的の行者を歓迎する」
 「(=もしも、そうした行者が出れば)速に猊座を下りて本仏行者の足下に拝してはきものを採らん事を念願する。蓋し(=現今の)本仏論の高潮は本仏行の前駆ではあるまいか」
 これは「日蓮本仏論」を論じたある本に寄せられた序文である。この書は日亨上人が校閲をしておられる。
 ――″本仏論″を論じるのもよい。しかし、私が待つのは″本仏行″であり、″本仏行者″である。その人の足元に礼拝したいほど、私は″日蓮大聖人の仏法の偉大な実践者″を渇仰している、と。
 日亨上人の深いお心は、凡人のわれわれには、とうていわからない。しかし、重大なご指摘であると拝される。
 ″時代を画する大実践者いでよ!″″今、その前兆はあらわれている″
 日亨上人の至情の叫びは昭和二年秋。牧口先生、戸田先生の入信の前年であり、創価学会創立の三年前であった。
 その後、日亨上人は戦時中の学会弾圧、戦後の大発展をご覧になって、こう書かれた。
 「宗祖開山の聖代に還れる信行両全(=両方、完全に備わった)の現状を念へば広布の大願成就に近づくが如き念ひが涌く」「法滅の末法忽ちに変じて正法広布の浄界と成り広宣流布の大願成就近きに在り、悦ぶべし喜ぶべし」(富要九巻)
 ここにお示しのごとく、昭和二年に待望された″画時代的な本仏行″を、学会は真剣に実践してきたのである。(拍手)
 「広宣流布」を熱願された日亨上人の、慈悲と御境界の一端を拝する意味で、紹介させていただいた。(拍手)
 最後に皆さまの、ご健康とご活躍、そして限りない希望と前進の人生を念願し、本日のスピーチとしたい。
 (創価文化会館)

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