Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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杉並区記念総会 「原点」求道が大法流布の原動力

1990.3.18 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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10  ″大感情″のドラマ・仏典結集
 先ほど正法伝持の阿難尊者についてお話ししたが、日蓮大聖人は、阿難尊者らが中心となった第一回の仏典結集の模様を、「諸法実相抄」に次のように記されている。
 「彼の千人の阿羅漢・仏の事を思ひいでて涙をながし、ながしながら文殊師利菩薩は妙法蓮華経と唱へさせ給へば、千人の阿羅漢の中の阿難尊者は・きながら如是我聞と答え給う、余の九百九十人はくなみだを硯の水として、又如是我聞の上に妙法蓮華経とかきつけしなり
 ――釈尊の弟子の千人の阿羅漢は、釈尊のことを思い出して涙を流し、涙を流しながら文殊師利菩薩が「妙法蓮華経」と唱えられると、千人の中の阿難尊者は泣きながら「如是我聞(是の如きを、我聞きき)」(このように、私は聞いた)と答えられたのである。他の九百九十人は、泣く涙を硯の水として、また「如是我聞」の上に「妙法蓮華経」と書きつけたのである――。
 なんと胸打つ光景、感動に満ちた描写であることか。まさに仏典結集は、釈尊の大慈悲に対する無上の感動につつまれて、弟子たちが師の教えを正しく伝え持とうとした、すばらしい師弟のドラマであった。
 「如是我聞」――″このように、私は聞いた!″との阿難の言葉からは、師・釈尊への尽きせぬ報恩の思いと、仏法を正しく流布することへの赤誠の熱情が響きわたってくる。
 この弟子の全生命を震わせての叫び、大感情の言動があればこそ、仏法は時を超え、国を越え、流れ通ってきたのである。
 「だれがなんと言おうと、これこそが真実の仏法の精神である」「これこそが正しき師の心である」――大感情をもって、そう叫び続ける人が「一人」いれば、正法の脈動は朽ちることがない。(拍手)
 次元は異なるかもしれないが、私は、戸田先生に全魂込めて仕え、先生の指導は、時々刻々のいかに些細なことも胸奥にきざんできた。そして、すべてそのとおりに実践に移してきたつもりである。(拍手)
11  広布の日々の活動が師恩報謝に
 今年も、広布史に不滅の「3・16」(広宣流布記念の日)を終え、間もなく「4・2」(第二代会長戸田城聖先生命日)を迎える。本年は、戸田先生の三十三回忌であり、法要が行われる。
 思えば、私は、戸田先生の七回忌の折に『報恩抄講義』を発刊した。日達上人は、序文を寄せてくださり、次のように述べられている。
 「ここに三代会長池田先生は『仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや』の御金言のごとく、故恩師に報恩の誠を尽くすため、日夜、心身を労して、折伏の陣頭に立たれているのであるが、なおかつ故恩師の発願の遺志を継いで、総本山に大客殿の建立と御書十大部講義の完成に努められたのである。
 むかし大通智勝仏が法を説かんとする時、大梵天王は天の官殿を供養したことを法華経化城喩品に説かれている。いま、池田先生は日蓮大聖人に大客殿を供養したのである。次にまた、報恩抄の講義を刊行したのである。
 これ、一は身形の上に、一は心行の上に、故恩師の志を継承して、報恩の誠を表わしたというべきである」(『日達上人全集』第一輯第五巻)と。
 まことに、ありがたいお言葉である。
 さらに、「思うに、池田先生、日夜の奮闘は通じて謗法の折伏にあるのである。そして、その帰する所は、別して日蓮大聖人の久遠下種の三大秘法を広宣流布するにある。しからば、池田先生が報恩抄を講ずるも、講ぜざるも、その生活は、実に師恩報謝の行動に他ならないと信ずるのである」(同前)と。
 広宣流布は、日蓮大聖人の御遺命である。戸田先生は、その実現のために折伏・弘教に立たれた。これが学会の使命の大道であり、根本の精神である。
 そして日達上人は、私どもの広宣流布への日夜の行動が、すべて師恩報謝になっていると明言されているわけである。
 恩師戸田先生が逝いて三十有余年。この間、私は、この報恩の大道を、まっしぐらに走りぬいてきた。だれがなんと言おうと、みずからが誓った師弟の道だからである。恩師の三十三回忌を迎える今日、胸を張って、そう断言できることが、私の最大の誇りと思っている。
 最後に、重ねて「勇気の杉並」であっていただきたいと申し上げたい。そして「団結とスクラムの杉並」「歓喜と求道の杉並」「常勝の杉並」であれ、と申し上げ、本日のスピーチとしたい。
 (東京池田記念講堂)

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