Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二十回全国青年部幹部会 学べ、動け、人生の春に

1990.3.9 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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13  仏法に説く悪の流転の原理
 正法の世界に、なぜ反逆者、仏法破壊者が出てくるのか。その本質は、何なのか。次に、このことにふれておきたい。
 御書には明快に、その原理が説かれている。「佐渡御書」には、こうある。
 「般泥洹はつないおん経に云く「当来の世仮りに袈裟を被て我が法の中に於て出家学道し懶惰懈怠にして此れ等の方等契経ほうどうがいきょう誹謗ひぼうすること有らん当に知るべし此等は皆是今日の諸の異道の輩なり」等云云
 ――釈尊の入滅前後のことを記した般泥洹経には、こうある。「釈尊入滅後の未来の世に、形は一応、袈裟を着て、仏法のなかで出家して道を学ぶ僧となり、しかも仏道に精進せず、怠けおこたり、これらの大乗経典を誹謗する者が出るであろう。よく知りなさい。これらの僧はみな今日(釈尊在世)の、さまざまな外道(仏法以外の教え)の者が仏法のなかに生まれてきた者である」――。
 大聖人は、この経文を引かれて、こう仰せられている。
 「此経文を見ん者自身をづべし今我等が出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは是仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給へり
 ――この経文を見る者は、自分を恥じるべきである。現在、出家して袈裟を着ながら、仏道修行に励まず、怠け暮らす者は、釈尊在世の六師外道(六人の主要な外道論師)の弟子であると、仏は記されている――。
 そして大聖人は、具体的に、大聖人御在世当時の念仏宗、禅宗の指導者らについて、「六師が末流の仏教の中に出来せるなるべし
 ――六師外道の末流が、仏教のなかに生まれてきた者である――と、その本質を指摘しておられる。
 仏法の正しき師に敵対し、迫害する生命。その流れは、決して今世限りのものではない。深き因縁と宿習があるとの御指導である。
14  大聖人を迫害する他宗の僧らの″前身″は、六師外道の類であった。
 ちなみに、この外道を生んださらに根源は何であるのか。大聖人は、次のように教えられている。
 「この外道と申すは先仏の経経を見て・そこないて候いしより事をこれり
 ――釈尊を迫害したこの外道というのは、過去の仏のさまざまな経典を見て、それを読みそこなったところに、起源がある――。
 すなわち、釈尊以前の仏の教えにもきちんとつけず、自分勝手な解釈をした者たちの末流が、今、釈尊を迫害している、と。正しい師の正しい教えという軌道から外れてしまった者たちである。
 その外道の末流が、今度は御本仏を迫害しているのである。根は、はなはだ深い。悪しき因果の長い流転が、そこにはある。
 戸田先生は、「佐渡御書」の講義で、こう述べられた。(『戸田城聖全集』第六巻)
 「釈尊の時代の六師外道が、大聖人様が三大秘法を広宣流布するにあたって、僧侶になって生まれてきて敵対しているのであると。
 いま、わが創価学会が広宣流布をして、日本民衆を救わんと立つにあたって、それを邪魔するのは大聖人様の時に邪魔した僧侶が、いま日蓮宗等の仮面をかぶって生まれてきているのです」
 「こんど、それではどうなるのかというと、あのような連中が死ぬと、こんどは日蓮正宗のなかに生まれてくるのです」
 「そういう原理がきちんと出ているのだから、こわいものです。三世の生命観に達すれば、きちんとわかるのです。三世の生命を信じなければ、この理論はまだわかりません」
 まことに明確な原理である。
15  仏子を苦しめる悪と戦ってこそ正義
 大聖人はまた「三世各別あるべからず」――過去・現在・未来世のそれぞれが、別々であるということは絶対にない――と仰せである。
 「正法」に敵対し、破壊しようとする生命は、ある時は外道となり、また仏教の他宗の僧などとなり、さらに正宗や学会の中に入ってきて、同様の悪を働く。
 姿は違うようでも、本質は三世に変わらない。外見の「仮面」に惑わされなければ、何も驚くこともなければ、不思議に思う必要もない。御書と経文に、はっきりと説かれたとおりの実相である。御書の正しさの証明をしているともいえる。
 近年も、正法の世界にあって「懶惰懈怠」の堕落の姿で、反逆の振る舞いをなす者らが出た。僧であり、また幹部でありながら、御本仏の仏子をいじめ、尊き広布の世界をこわそうと画策する人間。彼らは、御書に御教示されたとおりの「正体」を現したのである。
 決して表面的な理由ではない。彼らが反逆にさいして、あれこれとこしらえた理屈などは、仏法の眼から見れば、自分を正当化するための哀れな虚構であることは明白である。
 また、だれかが厳しく叱ったからとか、もっと別の接し方をすればよかった等の見方も、あまりにも皮相的である。
 彼らは、過去にも正法の世に敵対し、仏子をいじめてきた者らである。そのままにしておけば、ガン細胞のように、体内を侵食していく。
 ゆえに悪とは断固、戦わねばならない。悪がみずからいられなくなり、出ていくことによって、清浄な広布の世界を守ることができる。かわいそうなようでも、全部、自分たちがつくった因果なのである。
 安易に妥協すれば、またいつか、正法の世界に忍び寄って、仏子を苦しめる。ゆえに、どんなに自身が返り血を浴びようとも、戦う以外にない。これが大聖人の厳粛な御指南に基づいた、正しき実践なのである。
 もちろん、仏法は一切衆生を救っていく慈悲の大法である。それを大前提として、大聖人があえて厳しく、悪との闘争を教えられた御心を深く拝さねばならないと私は思う。悪と戦う勇気と厳愛がなければ、正義は守れない。現実に人類を救っていくこともできない。
 本日は、北海道の小樽文化会館で、3・11小樽問答三十五周年の青年部総会が行われている。また東京の北多摩圏では、3・10「北多摩圏の日」記念の幹部総会が開かれている。これらを代表にして、全国の青年部の集いを、心から祝福申し上げる。(拍手)
 最後に、諸君は「永遠の青春」で、壮大なる法戦を展開しゆく一生であっていただきたい。「永遠の青春」で、燦然たる自身の今世の歴史を飾っていただきたい。こう願望し、本日のスピーチとしたい。
 (創価文化会館)

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