Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカSGI婦人部研修会 生活の大地が正法と信仰の大地

1990.2.27 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

前後
13  御書には、こう述べられている。
 「此の人人は我があらぎ荒気をば知らずして日蓮があらぎの様に思へり、たとえば物ねたみする女の眼を瞋らかして・とわり後妻にらむれば己が気色のうとましきをば知らずして還つてとわりの眼おそろしと云うが如し
 ――(大聖人を迫害する)この人々は、自分の荒々しい気持ちを自覚せず、日蓮のほうが、荒々しい心であるように思っている。
 たとえば、嫉妬する女性(夫人、正妻)が愛人(第二妻)に対して、眼をギラギラといからせてにらみつける。そんな自分の顔のいやらしさを自覚せず、かえって「あの女の眼つきは、なんて怖いんだろう―」と非難するようなものである――。
 大聖人は、このようにたいへんわかりやすい(笑い)たとえで、人間の心理を教えておられる。
 また私ども大聖人の門下に対しても、さまざまに悪意で非難し、迫害する人がいる。しかし、じつは「正法の世界」が鏡となって、そこに自分の欠点や野心、欲望を投影し、その自分の影に向かって、悪口している場合が多いのである。
 自分が権力欲にとりつかれた人には、どんな無私の善行も、権力を得るための策謀に見える。そういう傾向性がある。同様に名利にとらわれた人は、信念と真心の行動も、売名に見える。金銭欲の奴隷になった人には、金銭にとらわれない人間が、この世に存在することすら信じられない。(笑い)
14  反対に、あまりにも善意の人は、他の人も、そうだと思ってしまう傾向がある。
 大なり小なり、反射した自分の姿を見ている。
 アメリカの友も善意の固まりのような人が多いので(笑い)、ある意味で″お人よし″になりがちである。それでは敗北者になってしまう場合がある。
 フランスの文豪バルザックは言う。
 「世間というものをどんなに悪く言うやつがいても、そいつの言うことはほんとだと思うんだな!」(『ゴリオ爺さん』平岡篤頼訳、新潮文庫)
 それぐらい悪人が多い世の中だというのである。
 また「世間というものがどういうものか、つまりお人よしとぺてん師の集まりだということがわかるでしょう。どちらの側についてもいけません」(同前)と。
 ″正しく″(ぺてん師の側でもなく)、しかも″強き″(お人よしの側でもない)人生。厳しき現実を、断じて勝ちゆくための信心である。賢明にならねばならない。強くならねばならない。
15  また広布の組織にあっても、言うべきことは、はっきりと言っていくことである。
 仏法は、権威やリーダーに盲従するだけの″お人よし″をつくるものではない。″賢人″をつくるものである。
 婦人部の方々は、正しい仏法の正しい実践を学び、もしもリーダーや男性に道理に反したことがあれば、「正しい方向は、こちらですよ」「正しい基準は、ここにあります」と、明快に主張していただきたい。
 大聖人は、男は矢、女は弓と仰せである(御書975㌻)。矢は、弓が向けた方向どおりに進んでいく。(笑い)
 婦人部の方々が、そのように、胸を張り、男性をもたくましくリードする勢いで、伸び伸びと活躍されゆくときこそ、「ニューアメリカSGI」の本格的な幕開けであると申し上げておきたい。(拍手)
 本日の研修会を記念して、アメリカの婦人部の皆さまに、次の和歌を贈りたい。
  
  清らかな
    また美しき
      法花をば
  アメリカ全上の
     あの地 この地に
 最後に、皆さま方のご多幸、ご一家の安穏、アメリカSGIのますますの発展を心からお祈り申し上げる。「シー・ユー・アゲーン(また、お会いしましょう)」
 (創価大学ロサンゼルス分校)

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