Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカSGI青年研修会 ″母を大切に″そこに幸福と平和

1990.2.22 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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9  ″仏は子を思う母のごとし″
 本当に母親はありがたい。この世に、かけがえのない宝である。その恩を感じられる人になっていただきたい。その人は自分も幸福である。
 御書には、仏の慈悲を母の愛にたとえて、こう仰せである。
 「幼子は母をしらず母は幼子をわすれず、釈迦仏は母のごとし女人は幼子のごとし
 ――幼子は母の心を知らない。しかし母は幼子のことを忘れない。釈尊(大聖人、御本尊)は母のごとく、女性は幼子のようである――。
 「二人たがひに思へば・すべてはなれず一人は思へども一人思はざれば・あるときはあひ・あるときはあわず
 ――二人がたがいに思い合えば、心が合ってすべて離れない(仏と一体である)。一方が思っているのに、片方が思わなければ、ある時は会えるが、ある時は離れてしまう――。
 「仏は・をもふものの・ごとし女人は・をもはざるものの・ごとし、我等仏を・をもはば・いかでか釈迦仏・見え給はざるべき
 ――仏はいつも子を思っている母のようである。女性は親である仏を思わない、幼子のようである。われらが仏のことを思えば、どうして釈尊(大聖人)にお会いする(仏になる)ことができないことがあろうか。必ずできる――。
 この御書は、四条金吾の夫人が、まだ小さな月満御前(生後十一ヶ月)を抱えて、育児に追われていたころにいただいたお手紙である。仏の慈愛と苦心をわからせるのに、「母と幼子」のたとえほど、この時、彼女の心に響くものはなかったにちがいない。
 こうしたところにも、大聖人がどれほど相手の心を察せられ、その心に合わせて法を説いておられたか、そのやさしさがしのばれる。
10  私どもは「仏子」である。ゆえに親であられる「仏」は、つねに私どものことを心配し、心を休められることがない。それにもかかわらず、幼い子どもが母の苦労を知らないように、凡夫もまた、仏の慈愛を知らないでいる、と大聖人は述べられている。
 お母さんの愛を忘れてはならない。お母さんの苦労を忘れてはならない。お母さんの慈顔が心に生きている時、人間は決して大きく道を誤ることがない、と私は思う。
 それと同じく、私ども凡夫が御本仏の大慈悲を忘れることなく、深き感謝の心で生きていく時、心には仏界の光が大きく広がっていく。そして御本尊の大慈悲につつまれた、根本的に安穏と歓喜の人生の軌道となっていくのである。
 どうか若き皆さんは、かけがえのないご両親、とくにお母さんを大切にしていただきたいと重ねて申し上げたい。
 「母」の愛は深い。「母」の力は偉大である。そしてすべての人々が「母」を大切にすれば、必ずや世界も平和になり、幸福になっていくにちがいない。
 最後に、皆さま方のご健勝とご多幸、ご活躍を心からお祈りして、本日のスピーチを終わりたい。
 (創価大学ロサンゼルス分校)

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