Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカSGI各部合同研修会 妙法こそ幸福追求の軌道

1990.2.19 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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7  行動にこそ生命の凱歌
 飛行機が飛び上がるためには、滑走路を走る″助走″が必要である。学校で良い成績をとるためには、予習、復習をしっかりしておかなくてはならない。
 つまり、何事も、より力を発揮し、より高めていくために″助走″となるものがある。仏法では「自行」「化他」と説く。どちらが欠けても正しい修行とはならない。まして御本尊は、「広宣流布」を教えられた大聖人の御生命の御当体である。ゆえに、広布と人生と生活のための″行動″を何もなすことなく、ただ勤行・唱題しているのみでは、御本尊との真の感応はないと言えよう。
 広布を願っての″行動″があれば、その分だけ、いわば生命の一つの″助走″となって、勤行・唱題のときにも、境涯の偉大な跳躍と、飛翔を成し遂げる力となる。
 また勤行という「自行」で得たエネルギーが、広布への自身の″行動″へと、はずみをつけていくことも当然である。
 要は、勤行という行動、広宣流布に奉仕するという行動、両者が一体となって、妙法の無限の力を、この一生を生きぬく「わが身」に開いていくことができる。
 「行躰即信心」が仏法の世界である。すなわち「行動」こそが即「信心」であり、行動なくして正しき信仰はありえない。その行動とは、この自行・化他という、御書に仰せのとおりの軌道なのである。
 「行動」が即「福徳」の源泉である。たとえば弘教においても、その時、相手が発心し信仰するかどうかは、いわば相手の問題である。機根の問題もあり、また状況によって、行動の結果はさまざまである。その結果に一喜一憂する必要は決してない。
 宇宙でもっとも正しく、もっともすばらしき「生命の法則」を実践しきった誇りをもって、胸を張り堂々と進んでいけばよい。広布のために、徹して″行動″した人、その人はすでに生命の大勝利者なのである。(拍手)
8  御本尊には「若悩乱者頭破七分(もし悩乱する者は頭七分に破る)」とお認めである。みずからの、善なる法則を根本的に破壊してはならないという戒めである。退転や誹謗は、自分で自分の生命を破壊し、ばらばらにしてしまうようなものなのである。
 また「有供養者福過十号(供養する有らん者は福十号に過ぐ)」とも、認められてある。御本尊に唱題し、弘める者の功徳は、釈尊に供養する福徳よりも、はるかに大きい、との厳然たる御文である。
 宇宙にある一切の幸福という滋養を、わが小宇宙という内面に吸収し、最高に幸福な生命になっていくというお約束である。ゆえに、広布に生きる仏子は一人ももれなく、絶対に幸福になる。だれよりも幸福にならないはずがない。御本仏は絶対にいつわりを言われないからである。(拍手)
 また御本尊には「為現当二世(現当二世の為に)」ともお認めである。
 現在(現在世)と未来(当来世)と。そのための信仰である。仏法である。御本尊を拝するところ、久遠元初の生命がわく。一日一日、瞬間瞬間、久遠元初から出発するのが、私どもの信仰なのである。今日から未来へ、この瞬間から永遠の幸福へ、つねに出発であり、つねに希望である。つねに青春であり、つねに始まりなのである。
 そのことを確信し、尊い大切な人生を、悔いなく、心楽しく、心朗らかに進んでいただきたいと申し上げ、記念のあいさつとしたい。
 (創価大学ロサンゼルス分校)

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