Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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SGI各部合同研修会 「生命の長者」が勝利者の証

1990.2.18 スピーチ(1990.2〜)(池田大作全集第74巻)

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9  観心の長者――自身の″無限の宝蔵″を開く
 第三の「観心の長者」とは″凡夫の仏″のこと、すなわち法華経の行者のことである。別しては日蓮大聖人、総じては広宣流布に生きる私ども門下も含まれると説かれている。
 「観心」とは、末法においては「信心」のことであり、やさしくいえば、わが心を観じて「仏界」を自覚することである。
 自分の中に「仏界」がある。宇宙の一切の宝を集めた″無限の宝蔵″がある。それを開いて、自由自在に使いながら、「大長者」のゆとりで、何ものも恐れることなく、また一喜一憂することなく、獅子王のごとく堂々たる人生を、楽しく生きぬいていく。それが「観心の長者」である。
 わが「心」自体が無上の「宝蔵」なりと観、信じ、開いた長者である。
 釈尊の仏法では、現実には特別な人しか長者になれない。遠いところにある存在である。
 これに対し、大聖人は「受持即観心」(御書246㌻)と教えられた。御本尊という仏界、十界互具、事の一念三千の御当体を信受するだけで、わが生命にも仏界を観じ、涌現することができる。と。
 この意味で、釈尊の仏法を、仏法上の貴族主義とすれば、大聖人の仏法は、仏法上のデモクラシーと言える、と言う学者もいる。(拍手)
 あえてたとえれば、釈尊の仏法では、ロッキー山脈の高峰をめざすように「仏界」の高みへ一歩一歩登っていく。特別に優れた人が仮にたどりついたとしても、それだけで人生が終わってしまい、他の人を救うこと、社会への貢献などはむずかしくなってしまう。
 大聖人の仏法は、足もとのわが身、わが生命の大地を開拓して「仏界」の宝を掘り出していく。「仏界」の″宝の蔵″を開いていく。そのカギが題目であり、信心の「一念」なのである。
 さらに、また山で言えば、ただちにヘリコプター等で山頂に到着し、そこから悠々と下界を見おろしながら、「仏界」の風を社会に送っていくのが、大聖人の仏法であるともたとえられるかもしれない。
10  妙法のニュー″アメリカン・ドリーム″を
 大聖人は、「実相の大地」すなわち「仏界の大地」に住する仏子は、行住座臥(歩き、止まり、坐り、横になる)すべてが「仏の振る舞い」であるとされている。
 仏の振る舞いであるとすれば、一切が最高の「知恵」と「福徳」に満ちた行動、生活である。
 「我等衆生の振舞の当体、仏の振舞なり、此の当体のふるまいこそ長者なれ」――われわれ凡夫の振る舞い、それ自体が仏の振る舞いである。この振る舞いこそが「長者」である――。
 すなわち、真実の長者、「観心の長者」の証は、決して「世間の長者」の豪華な住宅でもなければ、「出世間の長者」の特別な力でもない。妙法を信受し、広宣流布へと進みゆく、私ども仏子の毎日の「振る舞い」が、そのままもっとも幸福な大長者の日々なのである。
 自分自身に「法財」「物財」の福運を開きつつ、人々に「仏」の種子をまき、世界に根本的な平和と繁栄のリズムをつくっていく。ありのままの、この生命、人生が、最高に豊かで価値ある、尊貴なる、黄金の一日一日になっている。それが「観心の長者」なのである。
 大聖人は「此の人を称して仏と為す、あに観心の長者と名けざらんや」――この人(法華経の行者)を称して「仏」とする。どうして「観心の長者」と名づけないことがあろうか――と。
 「此の人」とは、別しては日蓮大聖人であられるが、総じては御本尊を受持している人である。つまり仏道修行に励み、広宣流布のために戦っている人こそが仏であり、「観心の長者」であると、仰せなのである。
 そして、結論して「日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者、無上宝聚不求自得の長者に非ずや」と。
 ――日蓮(大聖人)門下の、南無妙法蓮華経と唱える者は″これ以上は無いという「宝の集まり」を、求めることなく、自ずから得た″長者なのである――。
 ゆえに、この大法を持った皆さま方は、すでにどんな大富豪よりも豊かな「生命の大長者」なのである。
 この世のいかなる富も死後まで持っていくことはできない。しかし「生命の大長者」は、宇宙大の財宝を自由に使いながら、永遠に「幸」の旅行をしていける。それが人生の勝利者の証なのである。
 福運を積むために、労苦の仏道修行はある。しかし福運は、ひとたび積まれると、あふれるように出てくるものである。それは、いったん宝の箱を開けることができれば、そこから無量の宝物を取り出せることにも似ている。
 ゆえに、絶対に退転してはならない。魔に負けてはならない。それは「仏種」という″福徳のなる木の種″を失い、みずから破壊することになるからである。
 ともあれ、妙法を持ちきって、このアメリカの大地に、一人一人が新しい「成功物語」、新しい「アメリカン・ドリーム」の虹をかけてほしい。そして、真の「サクセス・ストーリー(成功物語)は、正法を信受した私どもの人生にある、妙法の世界にあると確信していただきたいと申し上げ、本日のスピーチを終えたい。
 (創価大学ロサンゼルス分校)

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