Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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文京、台東、北、板橋区代表者会議 ″知の時代″へ学びに学ベ

1989.12.24 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

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17  人々のために勇気と知性を
 日蓮大聖人は「富木尼御前御返事」で、蒙古との戦いに備えて、九州へ向かう鎌倉の人々の胸中を思いやられ、次のように述べておられる。
 「当時つくし筑紫かへばとどまるめこ妻子をとこはなるるときはかわぐがごとくかをと・かをとをとりあわ取合せ目と目とをあわせてなげきしが、次第にはなれてゆい由比のはま・いなぶら稲村こしごえ腰越さかわ酒勾はこねさか箱根坂一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとをざかるあゆみ歩行かわも山もへだて雲もへだつればうちうものはなみだなりともなうものはなげきなり、いかにかなしかるらむ
 ――鎌倉の人々が九州へ向かっていくにあたって、とどまる妻子、行く夫、愛しあう家族が離れる時は、皮をはがれるように苦しく、顔と顔をすり合わせ、日と目を交わして嘆き、しだいに離れて由比の浜、稲村、腰越、酒勾(匂)、箱根坂と一日、二日と過ぎるほどに歩むごとに遠くなって、その歩みを川も山も隔て、雲も隔ててしまうので、身に添うものはただ涙、ともなうものはただ嘆きばかりで、その心中の悲しみはいかばかりであろう――。
 まるで大聖人御自身が直接、体験されているかのように、こまやかに語られている。旅人の歩みとともに、大聖人の思いも歩み、寄り添っておられるかのようである。庶民の苦悩の心情にそそがれた、御本仏の大慈大悲が仰がれてならない。
 戦争も動乱も、あってはならない。いつも苦しむのは民衆である。その民衆の心を、大聖人は知悉されている。驚くばかりである。
 仏法の根本は「慈悲」である。「慈悲」があれば、戦争は起こらない。
 民衆一人一人へのあたたかい「共感」と「同苦」の力、庶民の心を包みこむ豊かな「慈愛」の力――。これこそ、あらゆる指導者にとっても、目標とすべき点であり、謙虚に身につけていくべき要件であろう。
 他人の痛みに思いを馳せる心、すなわちあたたかい「思いやり」ほど、現代に衰えているものもない。むしろ一部のマスコミのように、他人の不幸を糧にし、なければ勝手に作り上げてまで利益を得ようとするのが、世間の多くの現実なのである。
 こうした社会にあって、妙法を持つ皆さま方は、豊かな「知性」と「勇気」「慈愛」で庶民を守りゆくリーダーであっていただきたい。民衆を苦しめるあらゆる権威・権力と戦いぬく、決然とした実践をお願いしたい。(拍手)
18  ともあれ私は、皆さま方が立派に力強く成長されんことを、ひたすらに願い、祈っている。私自身は広宣流布のため、また大切な同志のために、身命は惜しまない。何も恐れるものはない。時代・社会がどのように変軽しようと、信念の大道を堂々と進んでいく決意でいる。
 ただ願ってやまないことは、永久不変の「妙法」だけは世界に弘めておきたい。そして「学会精神」だけは、なんとしても後世に残しておきたい、ということである。それが人類を幸福と平和に導く″正義の中の正義″の道だからである。これが、現在の私の率直な心情である。(拍手)
 最後に、皆さま方が晴れやかに、よき新年を迎えられるよう念願し、また「本日お目にかかれなかった方々に、くれぐれもよろしくお伝えください」と申し上げ、私のスピーチを終わりたい。
 (東京上野池田講堂)

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