Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第十七回全国青年部幹部会 ″青春の証″を人生にきざめ

1989.9.24 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

前後
17  「耳」は、誕生以前から死にいたるまで、つねに″開いている″。目や口を閉ざすことはあっても、「耳」を閉ざすことはできない。しかも声や音は、いわば直接、生命の深みに響き、影響をあたえていく。
 その意味で「耳」は、世界と宇宙に開かれた″生命の窓″である。また、そこからさまざまな音声が、まっすぐに″いのち″の奥底に入っていく″魂への門″である。
 ゆえに、「耳」にどのような「声」と「音」を聞かせ、響かせていくか。ここに、生命と人生ヘの重大な影響がある。
 絶えず、尊い英知と慈悲の声を聞かせていくならば、その高貴な精神が、いつしか魂に移り、染まって、かけがえのない人間の向上をもたらすにちがいない。良き師、良き指導者に出会い、教えを受けることの幸福が、ここにある。また、至高の音声である南無妙法蓮華経を唱え、響かせていくことが、いかに尊貴なことであるかを知ることができる。
 反対に、卑しい低俗な言葉ばかりを耳にしていれば、魂そのものが低下し、汚れていってしまう。たとえば、人の悪口ばかりを国にし、悪意の会話を好む人は、やがてみずからその悪意に染まり、卑劣な″いのち″となっていこう。
 信心の戦いも、ある意味で「声」の戦いである。広布を妨げる悪の「声」に対し、いかに正義の「声」で対抗していくか。
 激しく攻撃されながら、ただ黙っていれば、戦いは敗れ、広布の前進は止まる。「声」に対しては「声」で反撃し、打って出てこそ悪を打ち破ることができる。一の暴言に対しては、十の正論で言い返していく。ともどもに、それぐらいの気概で、仏法の正義を声高く主張し、広布の言論戦を堂々と展開していきたいと思うが、いかがだろうか。(拍手)
 さて、私どもになじみ深い「聖」の字も、意味の中心は「耳」にある。″天の声を聞き分ける″のが、その本義である。また「聡明」の「聡」という字も、「耳」が意味の中心である。″耳が良く通じている″つまり″聞き上手″というのが原義である。
 すなわち、宇宙の森羅万象の「声」を、よく聴く力と徳を「聡」と言い、その人を「聖」と言う。
 ″聞く″″耳をかたむける″ことが、いかに大切であるか。
 信仰の同志に対しても真摯に耳をかたむけ、言いたいことを聞いてあげることが、激励・指導の出発点である。ただガーガーと(笑い)しゃべってばかりいて、いっこうに人の言葉を聞かない幹部は、すでにリーダー失格である。
 さらに、中国医学では、耳を人体の縮図として、耳の各部位が全身の諸器官に対応しているとする。興味深いことに、耳の形は、逆さまになっている胎児の形とそっくりである。ちなみに、のどには、人間の形をした「のどぼとけ」がある。
 また、日本語の「みみ」は、「身の中の身(身身ごあるいは「実実」に通ずるとの説もある。古来、「耳根」が、一般にもどれほど重要視されてきたかの、ほんの一例である。
 宇宙の万物が声をあげ、言葉を発している。宇宙の全体が、歌うたう大いなる生命である。これは、たんなる詩的な直感にとどまらない。現代科学の最先端が明らかにしつつある、新しい宇宙像でもある。
 「声仏事を為す」――その深い意義を人類が見直すべき時代に入ったといってよい。
 もちろん、なかには耳の不自由な方もいらっしゃる。しかし大聖人の仏法は結局、すべて信心の「心」と「行動」がどうかで成仏が決まる。堂々と幸の大道を進んでいただきたい。(拍手)
 ともあれ、「声」を発すること自体が、生命の証の一つである。そして広布も、生き生きとした「声」を原動力として進んできたことを忘れてはならない。(拍手)
18  青春の歴史に悔いを残すな
 戸田先生は、かつて次のように指導されている。
 「その組織を動かすのは、信仰に対する絶対の確信と情熱である。その信仰に対する確信と情熱を、組織のなかへ、千不ルギーとしてみなぎらすことである」「ことに、青年の確信と情熱が、信仰によって清められ、しこうして、いやましに高められたときに、組織は、グングンと活動するのである」と。
 御本尊への絶対の確信と、ひたぶるに広布へ邁進する情熱――。この強き心と心の共鳴が組織の第一線にまでくまなく行きわたっていくとき、広布への波動は想像を超える力をもつ。そして、時代へ社会へと大きく広がっていくのである。
 青年部のリーダーである皆さまは、この一点を深く銘記し、それぞれの舞台で雄渾の活動をお願いしたい。(拍手)
 そのうえで私は、若き青年部の諸君に「悔いない青春の『証』をきざめ」と申し上げたい。
 一生涯の土台をつくる青春時代に、悔いのない歴史と思い出をきざんだ人は幸福である。人生の「勝利者」としての土台ともなる。
 いわんや妙法の世界では、広布の輝く歴史を築いた「誇り」と「名誉」は、計り知れないほど大きい。厳然たる因果の理法によって、三世永遠にわたる福徳を積んでいくことができる。不滅の「勝利」と「栄光」をきざんでいけるのである。ここに、信心の深き意義がある。
19  私も青春時代、戸田先生という良き師のもとで、また学会の良き同志とともに、すばらしい思い出と、栄光の歴史を残すことができた。そこには何の悔いもない。また、自分自身を世界一の幸福者であると思っている。
 たとえば、師のもとに百数十人(男子)で出発した青年部は、世界最高の青年集団となった。私
 はつねに、事実上の中心者として、青年部建設に先駆してきたことを自負している。
 また学会の草創期、当時のすべての支部が百世帯以下の弘教で逢巡していた時に、私は蒲田支部幹事となって、いっきょに二百世帯を突破させた。これには、全学会の人々が驚愕した。
 さらに、学会草創期の十二支部のなかで最低クラスであった文京支部。その文京支部の支部長代理に就任するや、当時、トップ級にあった蒲田支部と並ぶ支部に仕上げた。それは、″戸田先生は折伏の師匠であられる。弟子である自分が大法戦を敢行するのは当然である″との決意の戦いであった。(拍手)
 その時の戸田先生のお喜び、多くの同志の驚嘆の姿は、今もって私の脳裏から消えることはない。
 それ以上に人々が驚いたのは、一カ月間での、大阪支部の一万一千百十一世帯の弘教達成であった。この広布の金字塔は、だれ人も乗り越えることのできない″記録″となった。関西の広布の基脳は、この時に規璧に築かれた。関西、大阪の同志にとって、また私自身にとっての大きな誇りとなっている。
 当時の日淳上人から″この七百年間、これほどの弘教をした人はいない。宗祖日蓮大聖人、そして御開山日興上人もどれほどかお喜びであろう″とおっしゃっていただいた。(拍手)
 さらに同年秋からの山口開拓指導がある。当時、山口県では同志も少なく、散在している状態で、大いなる広布の発展など考えられる状況ではなかった。私は、通算三十日間にわたり、全国から参加した有志の方々とともに県下各地で弘教を展開。この間、いっきょに六千世帯の入会を成し遂げた。
 ともあれ、私は青春時代に、広宣流布の″記録″をつくり、模範の大道を切り開いてきたつもりである。宗祖日蓮大聖人も、第二祖日興上人も、また恩師戸田先生も、必ずやご称讃くださっているにちがいないと確信している(拍手)。そして、これからもさらに、世界を舞台として広宣流布の大いなる歴史を残していく決意である。(拍手)
 どうか若き諸君も、青春時代に輝かしい勝利の記録、栄光の証をきぎんでいただきたい。たとえ小さな記録であってもよい。それぞれの立場で、自分自身の満足できる人生と広布の「証」を見事に残していかれんことを心から念願したい。(拍手)
 最後に、本日お集まりの皆さまのご健康とご活躍、ご多幸をお祈り申し上げるとともに、埼玉県の同志の方々には「すばらしき埼玉」を合言葉に前進を、と申し上げ、私のスピーチを終わりたい。
 (埼玉池田文化会館)

1
17