Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

諏訪圏記念幹部会 発展の原点「創立の心」忘るな

1989.8.20 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

前後
9  権勢をもった「おほきならん人」が何か言ってきはじめたら、そのときこそ「ああ法華経のよき敵よ!」と喜んでいきなさい、とのご指南である。なんと堂々たる大聖人のご確信であろうか。(拍手)
 圧迫があるたびに、いよいよ成長する人がいる。反対に、臆し、保身に走る人もいる。二つの生き方のどちらをとるか。どちらが正しいか。賢明な皆さま方は、その答えを、すでに胸中深くきざんでおられると確信したい。(拍手)
 ちなみに新田四郎信綱は、後年、時光とともに大石寺の建立・外護に尽力し、日興上人から「日興第一の弟子也」とたたえられている。
 このように、大聖人時代の門下の方々も、それぞれの地域で活躍された。″わが地域″がもっとも大切である。
 日興上人は大聖人の伊豆流罪、佐渡流罪の折も、影の身に添うごとく、つねにお仕えされている。その間、伊豆、佐渡の、いわば″足元の地域″で弘法の戦いをされ、その地域を一歩一歩と固めていかれた。
 また、大聖人が身延に入山されると、有縁の地である甲州(山梨県)、駿河(静岡県中央部)に転教され、のちの大石寺建立の基盤を築かれていった。
 自分が今いる現実の場所。そこが、いわば本有常住の使命の地である。そこを離れて、どこか別の遠い所に憧れていくような人生は、空虚である。確かな価値を残すこともできない。
 人生は現実である。広宣流布も現実である。足元の現実の地域から広布は始まる。もっとも身近なところこそ、ある意味でもっともたいへんな地域ともいえる。そこから正法流布の着実な波を起こし続けていく人が「勇者」なのである。
 ともあれ、会館のある地域も含めて、近隣にもこまやかに配慮しながら、世界に誇る″われらが地域″を一歩また一歩、拓いていっていただきたい。(拍手)
10  「人物」を育てる山国・信州の伝統
 さて島崎藤村は、言うまでもなく、信州が生んだ代表的な詩人・作家である。
 彼は幼くして上京し、東京での生活が長かった。しかし青年時代、「もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか」(『千曲川のスケッチ』岩波文庫)と悩んで、都会を脱け出し、ふたたび山国・信州にもどってくる。今で言う「Uターン」である。(笑い)
 二十七歳から三十三歳にいたる足かけ七年間、小諸義塾で教師をしながら、信州の人々からさまざまなことを学んだと、藤村は述懐している。その折の暮らしぶりを記した作品が、『千曲川のスケッチ』である。
 そのなかで藤村は、都会育ちの青年に、こう語りかける。
 「山の上の星は君に見せたいと思うものの一つだ」(同前)
 長野青年研修道場がある、ここ霧ケ峰高原から見る空も、まことに美しい。風もさわやかに、雲も、花も、星も、人も、みな清らかである。ぜひ、日本中、また世界の人々に″見せてあげたい″と願うのは、私一人ではないと思う(拍手)。これからも、多くの人が研修に訪れるにちがいない。
 何かとお世話になると思うが、重ねてよろしくと、お願い申し上げたい。
 また、「九州研修道場」がある霧島も、たいへんよい所である。同じ″霧″同士だからと言うわけではないが(笑い)、「霧ケ峰」のある諏訪の皆さんと、「霧島」の地域の皆さんと、″姉妹交流″をしてはどうかと提案しておきたい。(拍手)
11  長野青年研修道場は、海抜約一四五〇メートル。いわば″天にいちばん近い研修道場″である。
 牧口先生は『人生地理学』の中で、山は「天師」のごとく、「人情を和らげ、人心を啓発する」力を持つと論じられている。なるほど信州の方々もまことに人柄がすばらしい。(拍手)
 牧口先生は、とくに、美しい山と湖の天地が多くの大教育者を生んでいることに注目されている。
 先日(八月二2日、学生部夏季講習会)、お話ししたペスタロッチも、山と湖のスイスの人である。牧口先生は、そのことにもふれつつ、「日本のスイスはそれ信濃か」と述べられ、ここ信濃(長野)が、吉田松陰を教えた佐久間象山らをはじめ、その後も教育界に名士を輩出し、教育事業のもっとも進んだ地域とされている。
 また牧口先生は、秀麗な山並みを青き水面に鏡のごとく映しだした諏訪湖の美しさを描写されている。(拍手)
 いずれにしても「山は人物の育成処(所)なり」――これが牧口先生の着眼点であった。ここ″天に近い″霧ケ峰の研修道場からも、世界の広宣流布の人材が陸続と育ちゆくことを確信し、また念願したい。
 最後に皆さまが、何らかの意味で、世界の模範となる大いなる歴史をつくっていただきたいとお願いし、本国の記念のスピーチとさせていただく。
 (長野青年研修道場)

1
9