Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二回未来部総会 大切な君たちは二十一世紀の主人公

1989.8.19 スピーチ(1989.8〜)(池田大作全集第73巻)

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15  信心は良き″変化″への源泉
 恩師戸田先生は、かつて、こう指導された。
 「宇宙のあらゆる一切のものは、天体にせよ、一匹の虱にせよ、刻々と変軽していく。一瞬といえども、そのままでいることはできない」(小説『人間革命 第三巻』)
 虱といっても、諸君は知らないかもしれない(笑い)。戸田先生は二年間も牢獄で風に悩まされた(笑い)。だからたとえに引かれたのであろう。(笑い)
 ともあれ、すべてが刻々と変化し、独列していることは、まぎれもない事実である。われわれ自身もまた、それをまぬかれることはできない。
 戸田先生は続けて、こう指導されている。
 「そこで、一番の問題は、良く変わっていくか、悪く変わっていくかです。このことに気づかないでいる時、人は惰性に流されていく。つまり、自分が良く変わっていきつつあるか、悪く変わっていきつつあるか、さっぱり気づかず平気でいる。これが惰性の怖さです」(同前)
 ここに、人生の根本問題があるといってよい。
 若木がグングン生長していくのも変化である。大木が徐々に老化し、朽ちていくのも変化である。だが、同じ木の変化でも、内容は、まったく異なる。正反対である。
 人生の変化にも、同様のことがいえる。幸福へとグングン上っていくのか。それとも、不幸の方向に転落してしまうのか。現実を鋭く見ていけば、その相違は歴然としている。
 戸田先生は、その違いがわからないのが惰性だと指摘された。ある意味で惰性とは、流れに身を任せ、成長が止まった姿である。それでは、やがて敗北となり、苦しみの人生となってしまう。また、自身を良き方向へと変化させていけないものが滅びていくのは、自然の法則でもある。
 さらに戸田先生は続けられた。
 「信仰が惰性に陥った時、それはまさしく退転である。信心は、急速に、そして良く変わっていくための実践活動です。
 あらゆるものを、刻々に変転させていく力、それを生命といい、如々として来る、つまり、この力を如来といい、仏と名づけるのです。この力を大聖人様は、さらに南無妙法蓮華経とおっしゃった。そして、それを具体的に、十界互具の御本尊として、お遺しになった。一切の根本である、このことを度外視して、われわれの信心はない。……宇宙自体にも、われわれ一人ひとりの小さい人間にも、すごい生命の力、南無妙法蓮華経があるのです」(同前)と。
 仏法は、宇宙、地球、生命を貫く根本法則である。その法の力は、無量無辺である。ゆえに、信心による変化は根底的かつ急速であり、妙法のリズムにのっとった人は、速やかに良い方向へ転回していく。しかし、信仰の惰性、退転は、急速に正反対の方向に向かっていく。これが峻厳なる実相である。
 かりに安穏に見え、幸せそうであったとしても、それは刻々と変化し消えゆく仮諦の姿でしかない。永遠の幸福の因果はきざまれていない。所詮、正法なき生は、水面に浮かんでは消える泡のようなはかなさをまぬかれない。
 それに対し、南無妙法蓮華経を唱え、実践する人生の偉大さ、すばらしさは、妙法を知らぬ人生とは根本的に次元を異としている。広宣流布に生きゆく諸君こそ、かけがえなき至高の人生道を歩んでいることを、深く知っていただきたい。(拍手)
16  最後に、諸君が大きくなったならば、どうか、お父さん、お母さんを連れて、私が訪れた国々をはじめ世界中を旅行していただきたい。諸君、いかがだろうか(賛同の拍手)。場合によっては、兄弟、同志、未来部の友人と一緒でもよいと思う。
 すでにお父さんやお母さんが亡くなっている人もいるかもしれない。しかし、一念三千の法理のとおり、宇宙の一切はこの胸中に収まっている。両親は、いつも諸君の心の中に生きている。心に両親をいだいて世界をまわればよい(拍手)。ともあれ、いつまでも親孝行を忘れぬ一人一人であってほしい。
 世界の広布の道は、一年ごとに広がってきた。私はすでにこれまで四十三カ国を訪問し、これからも五十力国、六十力国と増えていくと思う(=一九九五年末現在、五十一カ国・地域を訪問)。この道を、諸君がさらにさらに広げ、堂々と進んでいかれんことをお願いし、本日のスピーチとしたい。
 (長野研修道場)

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