Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十九回本部幹部会 新しき天地を新しき勇気で

1989.7.14 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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17  私も、一九七三年(昭和四十八年)に会談したことがあるが、アメリカの細菌学の権威であったルネ・デュボス博士は、こう述べている。
 「心配のない世界でストレスもひずみもない生活を想像するのは心楽しいことかもしれないが、これはなまけものの夢にすぎない」
 「遠く穴居けっきょ生活の時代から、地球はエデンの園ではなく、生存するためには反発力が必要な決定の谷間だった。地球はいこいの場所ではない。人間は(中略)戦うように選ばれているのだ。危険のまっただなかで伸びていくことこそ、魂の法則であるから、それが人類の宿命なのである」(『健康という幻想』田多井吉之助訳、紀伊国屋書店)と。
 博士は「人間革命」の理念にも深い共感を寄せてくださっており、自著『内なる神』を届けてくださったが、その扉には、こうしたためてあった。
 「本書の最後の一行に『ものごとのなりゆきは運命ではない』とあるのは、私が仏法の教理を人文主義的、科学的に表現したものである」
 博士は仏法者ではなかった。しかし、苦難に打ち勝つ中で成長を果たしていくのが人間本来の姿であり、人間の意志の力は「運命」をも超えるという信念を持たれていた。
 また、ゲーテは語っている。
 「自分の生涯の終末をその発端と結びつけることができる人は、いちばん幸福な人間である」(「箴言と省察」岩崎英二郎・関楠生訳、『ゲーテ全集13』所収、第三文明社)と。
 自ら決めた初志を貫けるか否か。まさしく、人間の幸不幸と深き価値はそこにあるといってよい。
18  初代会長牧口先生は、次のように指導されている。
 「いかなることがあっても、われわれはこれからのことを考えて生きていくことだ」
 さらに「妙法の生活とは″変毒為薬″である。社会で生活している以上、時には事故や災難、そして事業の失敗などにあう場合がある。(中略)だが、どんな場合でも妙法根本、信心根本として、御本尊を疑わず、信心に励めば、毒を変じて薬となしていけるのである。
 たとえば、病気をした、これは罰だと悩んでいるだけでは解決しない。そこで″この病気を、かならず変毒為薬してみせるぞ、健康という大福運、大功徳を開くのだ″と確信し、決意して信心をつづけていくことが大事だ。
 そのとき、病気が治るだけではなく、全快したときには、以前よりも健康になるのが、変毒為薬の妙法である」と。
 強盛なる信心によって、すべては変毒為薬していける。これが仏法である。信心は「現当二世」である。何があっても、「変毒為薬」の信心を貫き、つねに勝利の大道をさらにさらに開いていけるのである。
 ご存じの通り、経文に照らして広宣流布の途上にはさまざまな苦難がある。皆さま方には大変ご苦労をかけている。しかし、これからも多くの労苦に耐えていかねばならないであろう。それしか広宣流布の山を一つ一つ登ることはできないからである。
 皆さま方のますますのご健康とご長寿、そして勇気ある人生を歩んでいかれんことを切にお祈りし、私のスピーチとさせていただく。

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