Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

イギリス広布28周年代表者会議 「蘇生」と「歓喜」と「希望」の前進を

1989.5.24 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

前後
7  大切な信心の「心」
 大切なのは「心」である。勤行・唱題も子供が親を慕うような、ありのままの自然な心、まっすぐな祈りと願いが、そのまま御本尊に通じ、感応していく。
 例えていえば、家庭であれば、一言「グッド・モーニング」「グッド・イブニング」等と、あいさつを交わすだけで、心が通じる。
 そのように、たとえ一遍の題目であっても、そこに込められた「仏子」である私どもの信心の「心」は、御本尊に必ず通じていく。まして真剣に唱題を重ね、勤行していく時、その功徳は無量である。
 ゆえに、必要以上に形式にとらわれて、窮屈きゅうくつな信仰生活になることは賢明ではない。
 疲れていて早く休んだほうがよい場合や、どうしても時間がない場合もある。その時は方便品・自我偈じがげのみの勤行でも、また唱題だけであっても、決して、「罰を与えられないか」等と心配する必要はない。
 もちろん、仏道修行であるゆえに、″さぼってもよい″と言っているわけではない。要は、少しでも多く、また深く、御本尊を拝し、唱題していこうという「信心」があればよいのである。その「心」は必ず、形となって現れ、真剣な実践の姿となっていく。
 ともあれ、イギリスの皆さま方は、正しき信心の王者の道を、おおらかに、朗らかに、悠々ゆうゆうと前進していっていただきたい。
8  さて、恩師・戸田先生は、あるとき、このように言われていた。
 ″大木になる木も、一日や一月ではたいして伸びることはない。しかし、長い目で見ると、いつとはなしに堂々たる大樹に育っている。これと同様に、大聖人が仰せのごとく末法の功徳は冥益みょうやくである。信心も、一つの節として七年くらいは続けてみなければわからない。本当によくなってくるのは十五年あたりからである″――と。
 子供も、最初から大きいわけではない。乳幼児から次第に成長し、十五歳くらいになると大人と変わらないくらいに大きくなる。妙法の功徳も、また同様である。
 着実に福運を積み、自然のうちに生活も向上し、幸福に満ちた人生が築かれていく――これが冥益である。
 また、一生成仏のための信心である。ゆえに、絶対にあせる必要はない。着実に、たゆみなく、持続していくことが大事なのである。長い目で見ていけば、たとえ途中で、苦難の山やあらしがあったとしても必ず幸福の軌道に入っていくことは間違いない。それを確信して、自分らしく堅実な前進をお願いしたい。
 十五年といえば、コーストン理事長が、広宣流布の使命を胸に秘めてイギリスに帰国して今年で十五年。これも不思議な一つの節目といってよい。コーストン理事長は、この十五年間、イギリスをみずからの広布の舞台として、見事な信仰の実証を示された。まことに立派な″模範のリーダー″である。
 どうか皆さま方も、それぞれの使命の舞台にあって、三世にえある幸福の人生を築き、正法正義の輝く証明者としての道を歩んでいただきたい。
 ともあれ、ここ「タプロー・コート」を中心として、二十一世紀のイギリス広布の土台を、皆さま方の力で築き上げていただきたい。そして、楽しく、永遠の思い出を刻み、永遠の福徳を積みながら、この「哲学の城」に世界一の常楽の″人華にんげの園″を爛漫らんまんと飾りゆかれんことを念願する。皆さま方の、ますますのご多幸とご長寿、ご活躍を心から祈って、私のスピーチを終えたい。

1
7