Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「後継者の日」記念勤行会 君たちは広布の宝、二十一世紀の宝

1989.5.5 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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14    時代はむ。我らは突如とつじょとして起る雷光らいこう
   火をもていやさんとする、遅き復讐者、
   家はすべてくされ、城も聖堂も腐れ果て、
   低劣な欲望にり固まって人心も腐れ、
   かくして腐敗の波は我らの谷に滔々とうとうと流れ、
   殺戮者さつりくしゃの手には人殺しの血がしたたる。
   なんじらの廃墟はいきょより新たな緑のでんことを。
   その時こそ、新たな人類が愛の盟約めいやくを創(つく)り、
   過去の瓦礫がれきの内より咲き出でるを許される。
   身は清らかに、心は信頼に満ちあふれて、
   我らが歓呼かんこしつつ石屑いしくずの間を進み行けば、
   弟妹らはひざをかがめて我らに敬意を表し、
   若き国、若き明るい家を築くであろう。
   (杉本正哉訳、スイス文学叢書4『スイス詩集』所収、早稲田大学出版部)
15  少々、難しいかもしれないが、この詩は、時代が病み、人々の心もにごり切った廃虚の中から、みずみずしい新緑の若葉のごとく萌え出て、希望あふれる活躍を開始する人々の姿を、高らかにうたいあげている。
 この詩を口ずさむ時、私には、雷光のような強さと激しさで、何としても″病んだ時代″を変革していこうという熱い息吹が感じられてならない。と同時に、文字どおり、戦後の焼け野原に一人立たれ、広布の戦いを開始された戸田先生、それに続いた我が学会の同志の凛々りりしき姿が、二重写しとなって私の胸に迫ってくる。
 時代と人々の心は加速度を増すかのように、ますます病み、荒廃の道を進んでいるようだ。諸君の周りにも、家族のこと、学校のこと、社会のこと等々、現実の生活での悩みや苦労が、これからさまざまにおそいかかってくるかもしれない。しかし、それらに負けて、″廃虚の瓦礫がれき″の下にうずもれてしまうようなことがあっては断じてならない。未来に生きゆく諸君こそ、病んだ時代の廃虚から″萌え出づる緑の若葉″であり、新しき人間賛歌の時代を築く一人一人である。
 諸君が希望と躍動に満ちあふれ、悠々ゆうゆうと進んでいくならば、弟や妹たちも、また周囲の人々も、諸君に信頼と敬意を寄せ、喝采かっさいを送るだろう。そして必ずや、和楽の家庭、平和で豊かな社会建設への道が大きく開かれていくにちがいないと、私は確信している。
16  東洋に「ヤシの葉で太陽はかくせない」ということわざがある。″真じつはどのように隠そうと思っても隠すことはできない″という意味である。
 私も多くのいわれなき誹謗ひぼう・中傷を受けた。しかし、どんなに卑劣ひれつ悪口あっこうを重ねようとも、真実の姿をおおい隠すことはできない。真じつはどこまでも真実であり、いつか必ず明らかになるものである。どうか諸君も、堂々たる太陽のように、何ものにも紛動ふんどうされることなく、自分らしく生き抜いていただきたい。
 最後に、私の大好きな「正義によって立て。なんじの力は二倍せん」との言葉を贈り、本日のスピーチとさせていただく。

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