Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第十六回本部幹部会 広布への「行動の人」こそ仏子

1989.4.19 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

前後
23  さらに、「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」の御金言を拝して、このように語っておられる。
 「末法の今日、大聖人様のお題目を唱える我々は皆菩薩であります。その菩薩の唱える題目に自行は少しもない。ただ化他のためであります。それは我々の唱える題目は広宣流布の題目であるが故であります。広宣流布というものは、あるゆる人が共にこのお題目に生きて、この国土を常寂光土の都にならしめんとするのであります。そのためのお題目であるが故に、我々の唱えるお題目は化他の題目であるということをよく知ることができると思うのであります」
 すなわち、「自行化他」といっても、どこまでも、菩薩行として人々を救っていく「化他」が表である。化他の題目のうちに「自行」は含まれていく。それが大聖人の教えられた唱題行の本義であるとの御断言である。
 広布を目指して、全生命で「行動」していく人の題目こそ、御本仏のお心にかなった題目なのである。世界へと現実に妙法を弘めている私どもの大いなる「化他」の行動をこそ、御本仏が深く称賛してくださっていることを確信していただきたい。
 ともあれ、皆さま方は限りなく尊き御本仏の仏子であられる。だれびとであれ、その仏子を最大に大切にしていくのが、大聖人の仏法を信ずる者の道である。
 また、そこに広宣流布の流れが、断絶することなく、万年へと、いよいよ広がっていく要件がある。広布という民衆の″最極さいごくの希望″の世界に、人々が喜々として、続々と集いくる大道が開けてゆく。
24  戸田先生は、広布のために純粋な信心、実践に励む仏子である会員を、つねに、こよなく大切にされた。
 ある時は「世間の地位とか、入信の前後とかを問わず、折伏に精進しょうじんする者は、学会の重鎮じゅうちんであり、大黒柱である。会長たりとも、各部長たりとも、折伏行に精進する者に出会わば、大聖人より『善哉よきかな、善哉』とおほめにあずかっているみ仏として、立って、これをお迎えしなくてはならない」と厳しく指導されていた。
 私もまったく同じ心情である。ここに仏法の精神があり、永遠の学会精神がある。地位や役職があるから偉いのではない。信心がある人が尊いのである。
 大切な会員を見くだしたり、そまつにして、悲しい思いをさせたり、信心を失わせるようなことがあれば、幹部として失格であるばかりか、人間としても失格であると、厳しく申し上げておきたい。
 また、あるいは、現在は信心も弱く、皆さま方に苦労をかける会員もいるかもしれない。しかし、皆、使命ある仏子である。御本尊に、その方の成長を祈り、親身になって尽くし、信心を励まして、立派な人材へと育成しゆく慈愛のリーダーであっていただきたい。
 戸田先生は、新入信の友の指導について、昭和三十二年(一九五七年)八月の本部幹部会の指導をこう結んでおられる。
 「どうか御本尊様をたもたせて、御本尊をそまつにしたために一生涯そんをする、そういうかわいそうな人たちをこしらえないように、今晩お集まりの皆さんは、できるだけ会員の人たちの世話を懇切にしてあげて、『信心してよかった』と、そういう信心の喜びを味わわせていただきたいと思います」と。
 私も、そのことを心からお願いしたい。
 皆さま方が「健康」で、また勇気と団結をもって、どこまでも朗らかに、この一生を送っていただきたいことをお願いし、本日のスピーチとさせていただく。

1
23