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日蓮大聖人・池田大作

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第六回全国婦人部幹部会 「生活の達人」に「人生の達人」に

1989.3.29 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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16  なお、大聖人がこのお手紙を日妙聖人に送られたのは建治元年(一二七五年)で、蒙古来襲らいしゅうの翌年のことである。蒙古からの使者も、ふたたび訪れ、世情は混迷を極めていた。
 大聖人はお手紙の末尾に、次のようにしたためられている。
 「いかなる事も出来候はば是へ御わたりあるべし見奉らん・山中にて共にえ死にし候はん、又乙御前こそおとな成長しくなりて候らめ、いかにさかしく候らん
 ──(ふたたびの蒙古の来襲など)どのような事でも起こったならば、こちら(身延)へおいでなさい。心からお迎えしましょう。山中で共に飢え死にしましょう。また乙御前はさぞかし成長されたことでしょう。どんなにか聡明になられたことでしょう──と。
 乱世にあって、頼りとする人のない日妙聖人母娘である。もし蒙古が攻めてくるようであったら身延にいらっしゃい。身延も決して食料は豊かではない。だが、もし食べる物がなくなれば、一緒に飢え死にでもしましょう──。これほどまでに仰せになって、大聖人は、日妙聖人母娘をいつくしまれ、守ろうとされていた。まことにありがたい御本仏の大慈大悲であられる。
 私どもの登山会の精神は、この大聖人の大慈大悲のお心に包まれていることを最大の誇りと生きがいとして、人生を生き抜いていきたい。
 かつての正信会の悪侶あくりょのように、仏子をいじめぬいた姿には、どれほど大聖人がお怒りのことであろうか。私どももまた、仏子である会員にどこまでも尽くし、守り抜いていく心を忘れてはならない。
17  生活に余裕とユーモアを
 次に、リーダーとして大切な、うるおいのある「ユーモア」について、少々、語りたい。
 もちろん、ユーモアはふざけや軽薄けいはくな言動とはまったく違う。真のユーモアとは、接する人を心からほっとさせ、勇気と活力をもたらし、立ち上がらせていく力をもつものだ。
 これはイギリスの大学で学んできた通訳の方の話であるが、イギリス人の中にはこうしたユーモアあるいはウイット(機知)を重んずる伝統が脈打っている。
 たとえば偉大な政治家であったチャーチル首相も、第二次世界大戦のさなか、つねに軽妙なジョークをふりまいて、周囲の人々を励ましていたことはよく知られている。
 チャーチルといえば、彼はナチス・ドイツの猛烈な爆撃をうけている時にも、ボールをポンポンと放りながら、街の中を悠然ゆうぜん闊歩かっぽしていたと聞いたことがある。民衆の心を強く鼓舞こぶした名宰相めいさいしょうぶりをほうふつとさせるこのエピーソードは、私の心にも強く残っている。
 また第一次大戦の際、イギリス国民を最も勇気づけたのは、「ビル君」という一兵卒をえがいた漫画であった。
 ビル君は、決して″英雄″などではない。とぼけた感じの一兵卒である。それでいて、彼はつねに泰然自若たいぜんじじゃくとし、しかも不死身ふじみである。いろいろなヘマもするが、絶対に死なない。
 この主人公のユーモラスな活躍ぶりが、戦時下の国民を明るく勇気づけ、士気を高めたというのである。
 いわゆる偉い人よりも、無名の一庶民、無名の一市民のほうが、どれほど強靭きょうじんな力をもって戦えるか──ビル君の姿から、それを強く感じる。学会も、会員は強い。幹部になると毀誉褒貶きよほうへんにとらわれて、かえってもろいことが多々ある。
18  このほかイギリスには、死に臨んでなお、ユーモアを忘れなかった人々の逸話いつわが多くある。
 十七世紀の国王チャールズ二世は臨終の床でいわく、「いや皆の者、えらくひまがかかってすまぬぞ」と。つまり″まだ、あの世に行けそうにないのだ″というわけである。
 また作家のバーナード・ショーも、やはり死の直前、付き添いの看護婦に向かって、「いいかな、君、骨とう品というものは洗うものじゃないよ」と語りかけたという。つまり、老人である自分を、そんなにていねいに洗う必要はない、という意味かもしれない。
 さらに、著名な思想家であったトマス・モアは処刑される寸前まで、死刑執行人を相手に冗談じょうだんをとばして死んでいったそうである(以上、ユーモアについては、アントニー・グリン『イギリス人』正木恒夫訳、研究社出版を参照)。
 こうした″ユーモリスト″たちの生死の姿は、その足跡自体の社会的評価はさまざまであろうが、やはりそれなりの高みに達した人間の輝きというものを感じさせる。
 いわんや最高の妙法を信受し、日々、広布の活動に励んでおられる皆さま方は、偉大なる「人生の英雄」であり「人生の達人」であっていただきたい。
 現実生活は、さまざまな労苦の連続であるかもしれない。しかし、その労苦の中に、さわやかな笑顔を、また余裕とユーモアを忘れない「生活の達人」として、人生を最大に楽しく生き切っていただきたい。
 最後に、大切な皆さま方の「ご健康」と「ご長寿」、そしてご一家の安穏を深くお祈り申し上げるとともに、「我が人生は素晴らしい一生だった」と言える充実した″信心即人生″の日々であられんことを心から念願し、私のスピーチを終わりたい。

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