Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十四回本部幹部会 悠久なる″民衆平和の長城″を

1989.2.20 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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20  世界への貢献は恩師の遺訓
 ご存じの通り、戸田先生は、一度も海外に出られることはなかった。しかし、世界広布、なかんずく、東洋広布への構想と重要性については、幾度も幾度も教えてくださった。
 恩師が、最後の指揮を執られた昭和三十三年三月、先生は、私に「メキシコに行った夢を見た」と話され、「世界は、頼むよ」と、世界広布を私に託された。
 私は、そうした恩師の心を受け、会長就任の年、昭和三十五年の十月には、東へ、アメリカ、カナダ、ブラジルを回った。翌年の一月には西へ、日達上人をご案内し、香港、インド、ビルマ、タイ、スリランカ、カンボジアを訪問した。
 日達上人は、私に対し、次のようにおっしゃってくださった。
 「わが池田先生は、今日のこの世の中において、遠くは本仏日蓮大聖人の仏法を、近くは先代戸田城聖先生の教えを、よく身をもってこれを得、身をもってこれを実践している人である。仏法は、ただ理論の考究によって盛んになるものではない。仏法は信によって体験し、身をもって折伏弘経しなければならないのである。
 その折伏弘経の師をうることは、いつの世においても、はなはだむずかしいのである。しかるにいま、大聖人の弟子檀那のなかから、ひとりの池田大作と名づくる折伏弘経の師を得たことは、われわれにとって無上のさいわいというべきである。そのゆえは、この師なくして、この世界に妙法を広宣流布せしめる者は、他にないからである」(『日達上人全集 第一輯第五巻』)
 まことに有り難き過分のお言葉である。
 今日の壮大なる世界広布の伸展を、日達上人も、また戸田先生も、いかばかり喜んでおられることか。
 これからも世界を走りに走り、これまでに倍する貢献を果たしていきたいと思っている。どうか皆さま方も、ともどもに、よろしくお願いしたい。
21  広布の苦難は成仏の直道
 ともあれ大聖人は、御生涯を通じて大難の連続であられた。しかし、大聖人の仏法を信受した弟子や信徒に対し″不便ふびん(かわいそう)である″とは言われても、″難があって申し訳ない″との仰せは一つも見当たらない。
 むしろ「難即慈悲」「難即成仏」であり、「難即安楽」であると教えられ、難にあうことが喜びであるとさえ御断言されている。
 法華経の経文に照らし、また大聖人の御聖訓に照らして、「成仏」という絶対的幸福の境界に至るためには、「難」という″段階″があることを、どうかご理解いただきたい。
 たとえば、一流の水泳選手になるためには人の何倍もの困難がある。野球の選手も同じであるし、学問の道でも同じである。このことは世間の万般に通ずる″道理″であるといってよい。
 いわんや「成仏」という最高の幸福境界を得んとする仏法の道において、さまざまな苦難や迫害があるのは当然のことなのである。
 大聖人の正法を信じ広布に進みゆく私どもに対しても、さまざまな無認識の非難がある。そのために皆さまがいやな思いをされることは、私にとってもつらいことである。
 しかし「申し訳ない」と言っても、どうしようもない。真実であるならともかく、″ためにする″誹謗ひぼうを加えているのは、している側の責任だからである。
 すべて仏法の方程式通りであり、難を受けきり、信心を貫き通してはじめて、金剛不壊こんごうふえの成仏の境界を開いていけることを銘記めいきしなければならない。
22  大聖人は「一昨日御書」に、次のように仰せである。
 「謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり」──陣営のとばりの中で計画をめぐらせ、勝利を千里のかなたで決した者である──と。
 どうか、時代・社会への鋭い洞察どうさつの眼をもって、将来にわたる広布と人生の勝利への道を賢明に開き、つくりながら、日々いなく進みゆくお一人お一人であっていただきたい。
 「南無妙法蓮華経」は、師子奮迅ししふんじんの力である。妙法は最高の生命のエネルギーである。唱題に励みながら、最高の生命力を涌現し、最高の歓喜と充実感をもって、最高にして無限の幸福の人生を生き抜いていただきたい。それができるのが妙法の世界であり、学会の世界である。
 御書にも「前三後一」のたとえがある。このところ、少々、「後一」の部分があったかもしれないが、もう一度「前三」の前進を、朗らかに、楽しく開始していきたい。ともかく、何事においても″勝つ″ということは気持ちがいいし、楽しいものだ。それぞれの舞台で「勝負」に徹し、見事に勝ち抜いていただきたいことを念願し、私のスピーチを終わりたい。

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