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日蓮大聖人・池田大作

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第三回中部総会 自身の決めた道を堂々と歩め

1989.1.21 スピーチ(1988.11〜)(池田大作全集第72巻)

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12  つねに民衆とともにあって、民衆とともに歩む――ロンドン大学の創立に込められたこの精神は、今日まで脈々と伝えられ、輝かしい歴史を刻んでいる。
 むろん、クイーン・メアリー・カレッジも例外ではない。バターワース学長も、一貫して民衆の啓蒙、民衆の薫陶くんとうに取り組んできた同カレッジの伝統を誇りとされ、今も第三世界を含む海外約八十大学の留学生を受け入れていると私に話してくださった。その数は、全学生の二割以上を占めるという。だが、日本の大学との正式な交流は、まだ開かれていない。
 過日の会談でも話題となったが、同カレッジは、日本では初めて、我が創価大学との学術・教育交流を行う運びとなった。現在、正式な調印へ向け、準備を進めている。
 ロンドン大学のみならず、創立九百年を迎えたイタリアのボローニャ大学とも、学術交流が内定している。このように幾多の大学と交流を結べることは、私どもにとって最大の光栄であり、喜びである。
13  本年四月は、皆さまもよくご存じのイギリスの歴史家・故トインビー博士の生誕百年にあたっている。博士もじつは、一九一九年から一九五五年にかけて、すなわち三十歳から六十六歳で退官されるまで、ロンドン大学の教授として教鞭きょうべんられていた。この間、大著『歴史の研究』の主要部分をはじめ、『試練に立つ文明』『世界と西欧』等々、数多くの著作を残されている。
 博士は、退官と同時にロンドン大学の名誉教授にされているが、八十六歳で亡くなるまで、″庶民の大学″″民衆の大学″の気風の中で活躍されていた。
 博士の生涯最後の著作ともいえる『二十一世紀への対話』(文藝春秋)の対談の際、家族のような雰囲気のなか、何日もかけて親しく語り合ったことは、私にとって今も懐かしい思い出である。
 そのなかで博士は、″教育″と″社会″の在り方について、次のように話しておられた。
 ――知識人と大衆が二分され、互いに疎外そがい関係にあるという社会は不健康である。そこでは、知識人は人生の普遍的な現実問題との接触を失いやすい。一方、大衆は、能力に応じて最大限に享受きょうじゅすべき知的教養を失うことが多い――と。
 そして、民衆に開かれた教育の場と生涯にわたる教育の大切さについて、博士と私は意見の一致をみた。
 思うに、こうしたトインビー博士の思想は、″民衆のための大学″ロンドン大学で教鞭を執られていたこととの連関性からとらえ直すと、一層、鮮明に浮かび上がってくるといえよう。
 創価大学も、この″民衆とともに″の精神をもって、日本の教育界に新風を送らんとの趣旨しゅしで創立されたのである。トインビー博士も当時、創立間もない創価大学に大きな関心と期待を寄せてくださっていた。
14  一人一人の向上こそ時代の要請
 学会は、いわば人生の″総合大学″である。私がこうして何度も、長時間のスピーチをし、仏法の話はもとより、広く世界の思想や歴史、人物等について話をさせていただいているのも、その意義からである。
 学会は、広宣流布という最も崇高(すうこう)な目的に向かって進む仏子の集まりである。人間的にはもちろんのこと、知性や教養も深めていくべきである。どうか、そのためにも皆さま方は、この学会の世界で、信心を根本に、つねに勉強していく姿勢を忘れないでいただきたい。学会員一人一人の、向上への着実な一歩一歩こそ、広宣流布の確かな発展をもたらしていくからである。
 またとくに幹部の方は、いつも同じような内容の話ではなく、つねに新鮮な心からの納得と決意を呼び起こすような話を心掛けていくべきである。そのための真剣な研さん、思索の姿は、後輩へのよい刺激となり、励みとなるはずである。私も、今後さらに先駆を切り、その確かなる流れをつくり残していきたい。
 最後に、鉄の団結で全国の模範中の模範の地域を築いていただきたい。そして、″中部を見よ″″中部を見習え″″中部に続け″といわれる「大中部」であっていただきたいことを心から祈って、本日のスピーチとさせていただく。

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