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日蓮大聖人・池田大作

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第四回全国婦人部幹部会 賢明なる生活即信仰

1988.11.24 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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17  負けない信仰の女王
 婦人部の皆さまは、若き日に女子部として活躍してこられた方も多いと思う。
 もう三十四年も前(昭和二十九年)のことになるが、新春の女子部幹部会の折、戸田先生は妙法の乙女らに次のように語りかけられた。
 「女性は朗らかであれ。生命が清らかならば、しぜん、笑い声まで朗らかになろう。意気地いくじのない女性で、男性に負けるようではならない。女性みずから、自己と戦うのでなければならぬ。それが大事です」と。
 戸田先生が、ここで述べられているように、まず、皆さま方は、いつまでも生命の清らかな人であっていただきたい。生命のにごった人は、疑い深く、傲慢ごうまんな心となる。それでは、信心の深化も、人間的な成長もなしえないからである。
 また、いつも申し上げるとおり、一家にあって、婦人は夫や子供たちに、実に大きな影響を与える。私も、これまで数多くの家庭を見聞きして、夫が夫人の信心によって、いかに左右されてきたかを、よく知っている。夫の信心を失わせた夫人に共通しているものは、慢心、エゴ、見えっぱりの心である。また、夫や家族の信心をくるわす「夜叉女やしゃにょ」のような婦人もいた。皆さま方は決してそうであってはならない。
 さらに、何があっても負けない皆さま方であっていただきたい。宿命に泣く弱い女性であってはならない。暗いなげきの人生であってもならない。そのためにも戸田先生は″なんじ自身に負けない″との一点を、若き生命の奥深く、強き″しん″として植えつけようとされたのである。
 どうか、世界一、朗らかに生き抜いていただきたい。世界一、たくましく生き抜いてほしい。生き抜いた人こそ、勝利の人である。そして″何があっても負けない″「信仰の女王」「生活の女王」であっていただきたい。そこに信仰者としての真の姿があるからである。
18  次に、ある著名な学者から寄せられた、私の対談集への感想を記した手紙を紹介させていただきたい。
 「カラン・シン博士との御対談『内なる世界』を、只今、言葉に言えぬ深くおおきな感動と驚異をもって、読了させていただいた所でございます。その一週間ほどの間、驚異から驚異へ、歓喜から歓喜への連続でございました。決して一言半句の誇張なく申し上げておるのでございます。
 カラン・シン博士といい、先生といい、まるで永い東洋の歴史と叡智えいちが生んだ奇蹟きせきのごとく、互いにその深淵しんえんの真理を、易々やすやすと、次から次へととりかわし、語り合っておられます。
 文は壮麗を極め、学は古今東西を貫き、視点は歴史の原点からはるか無限の未来に沿って論及されておられますが、何れも究極の人間の神秘を、限りない慈悲の御心をこめておられます。拝読してゆくことは、まるで真理の経緯を辿たどってゆくような思いがいたし、最後の一句までえりを正さずには、おられませんでした」と。
 また「先生の『人間学』もいまだ拝読中でございますが、先生は人間を見、人間の本質をつかむ天才でいらっしゃること、人間を見る視点について、実に多くのことを御教示いただきました。特に先生が人間をゆるし、抱擁ほうようせられるその人間的空間の広大さ、その自由な偉大さには、深い感銘を受けずにはおられません」と記されていた。
 大変なおほめの言葉であり、私に対する励ましの言葉と思っている。
 こうした対談集で述べている私の思想も、哲学も、すべて仏法を根本としたものであり、学会の理念と実践にもとづいたものである。その意味で、この学者は、仏法の偉大さ、学会の理念と実践の素晴らしさを深く認識してくださっているわけである。
19  学会員のなかには、あまりに自分たちの身近なところにあるためか、仏法の卓越さや学会の素晴らしさが分からなかったり、見失ってしまう人がいるかもしれない。しかし、他の世界にあって、行き詰まった自分たちの社会や運動に、何らかの活路を見いだしたいと悩み、願っている人たちにとっては、仏法や学会の素晴らしさが、よく理解できるにちがいない。
 私どもには世界第一の仏法がある。その仏法を奉じて世界の平和と人類の幸福のために行動している学会は、世界最高の思想団体であり、実践の教団なのである。そのことを深く確信し、また誇りともして、広宣流布という尊い目的と使命を果たしゆくために、悠々と進んでいただきたい。
 最後に、婦人部の皆さまのご健勝とご多幸をお祈りするとともに、よき母親であり、うるわしいご家庭であり、朗らかなご一家であられるよう心から念願し、私のスピーチとしたい。

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