Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十回本部幹部会 日々新たに また日々新たに

1988.10.19 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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11  門下の育成に心血をそそがれた日目上人
 さて一閻浮提いちえんぶだい御座主おんざすであられる第三祖日目上人の御振る舞いを拝する時、常に後継の青年の訓育に全力であたっておられた。
 次元は異なるが、私も学会の第三代として、広布の流れを永遠たらしめる責任を自覚していた。ゆえに青年の育成に徹しぬいた。私には、懸命に弟子を育てんとされる日目上人の御心が、強く深く胸に迫ってくる思いがする。
 御遷化ごせんげの一年前、日目上人は、御手紙の中で次のように記されている。
 「今年も四月より九月廿日はつかころまで闕日けつじつなく御書談じ候いおわんぬ」――今年も四月から九月二十日ごろまで、一日も欠かすことなく、御書を講義いたしました――と。
 この時、実に、日目上人は七十三歳であられた。それに比べ、私どもは、まだまだ若い。戦わなければならない。いな、日目上人の御姿を拝して、一生涯、若々しく、広布に進んでまいりたい。
 また、別の御手紙の中でも、こう述べられている。
 「越中公如法にょほう慇懃おんごん太公望たいこうぼうになりて候。春はしてわたらせたまい候へ。学問せさせ候へく候」と。
 すなわち、あなたの後輩にあたる越中公は、法にのっとって正しく、また一生懸命に修行しており、将来有望である、と期待され、「春には一緒に、こちらに連れていらっしゃい。しっかり学問させましょう」と配慮された御言葉である。
 若き門下の一人一人を、日目上人が、どれほどよく御覧になっておられたか。その成長に、どれほど力をつくしておられたか。この御精神を深く拝さねばならない。
 指導者は、後輩を自分以上の人材に育てようとする、その心がかなめである。その一念なくして、後輩をうまく使い、利用するのみの先輩であっては、いかに言葉たくみに指導しようとも、仏法の世界のリーダーではない。
 後輩に対し、どれだけ、こまやかに面倒をみたか。ある意味で、自分が倒れるような思いで、心をくだきにくだいてこそ、はじめて次が育つ。そこに「令法久住りょうぼうくじゅう」「広宣流布」の道が開ける。また、この、法のための不惜の一念にこそ、日目上人の御精神があると拝される。
12  無二の「信心の道」をともどもに
 先般も、多くの海外の同志が来日した。そのさい、ある人から質問があった。
 「私たちの国にも、もっと会館がほしい。妙法の流布も思うように進まない。どうしたらよいか」と。
 こうしたことは、日本の各地にも大なり小なり、あることと思う。
 私は「広宣流布は難事の中の難事である。そんなに容易に進むものではない。決して焦る必要はないし、未来をみつめて着実に日々、一歩また一歩と前進していけばよい」と申し上げた。
 日有にちう上人は次のように述べられている。
 「堂社僧坊は仏法にあらず。又智才覚も仏法に非ず。多人数も仏法に非ず。(中略)信心無二にして、筋目すじめたがへず、仏法修行するを仏道修行、広宣流布とはふなり」
 つまり、堂塔伽藍がらんが仏法なのではない。また才覚が仏法なのでもない。人数が多いことが仏法なのでもない。正法を信心無二に「筋目すじめ」をたがえず、修行していくことを、仏道修行・広宣流布というのである、との言と拝する。
 広宣流布にとって、何が一番大事なのか。それはとりもなおさず「信心」の二字である。いかに大きな権威の建物があっても、そこに仏法があるわけではない。いかに才知にすぐれ、いかに教学があるからといっても、信心が弱ければ意味がない。
 また、いくら人数が増えたとしても、一人一人の信心が強盛でなければ、将来の発展は望むべくもない。
 たとえ、今は、人数的には小さな存在であっても、正しき「信心の道」、仏法の正しき「筋目」ともいうべき「師弟の道」を、厳然と貫いていく――その姿それ自体に「広宣流布」がある。つまり、正しき「信心の道」を一分の狂いもなく歩んでいる、その中にこそ「因果倶時いんがぐじ」で、大いなる未来の発展という「果」がはらまれている。
 ゆえに、やがて時とともに、妙法の力用りきゆうによって、想像もできなかった広布の発展がなされることは、絶対に間違いない。現に、日本における、六十星霜に及ぶ学会の発展の歴史がそれを如実に証明している。
 この方程式は、いかなる時代、いかなる地域や国にあっても同じである。それゆえに私どもは、信心にだけは妥協も、安逸あんいつもなく進んできたわけである。
 逆に、いかに表面的に立派そうにみえても、正しき信心の大道を踏みはずしてしまえば、もはや正法の世界ではない。
13  分断から調和へ――広布は人類貢献の大運動
 先日、ソ連の著名な文学者・アイトマートフ氏とお会いした。本日帰国されたが、帰国に当たって、私にぜひ伝えてほしいと、次のように語っておられたという報告があった。
 「これからは新しい世界宗教、または新しい宗教的文化的教えが必要となる。これまで人類の長い歴史の中で、人間はその精神、心をバラバラに分断されてしまった。それをひとつの調和へ糾合きゅうごうしなければならない。それを今しないと、人類は滅んでしまう。その調和へのスタートを私は今回みた。
 私は日本に来るまでは、ヨーロッパ精神に基づいた思想を持っていたが、今回、東洋の思想に教えられた。それは創価学会によってである。
 この調和への努力は、今の世代で完成しなければ、次の世代が受け継いでくれるにちがいない。この考えは、名誉会長との対談、また名誉会長の著作を読む中で生まれた結論です」と。
 そして「もし時間があり、希望があれば、私たちのイシクル会議(知識人による会議)に、ぜひ名誉会長をご招待したい」と。
 ここにも述べられている通り、世界の人々の心は、さまざまな形で「分断」されてきたし、一方で、経済的、物質的豊かさの中で精神の荒廃を深めている。
 こうした人間精神の「蘇生」と、「調和」、「糾合」のために戦ってきたのが、私どもの活動であった。
 それが善なる運動であるがゆえに、悪の勢力のさまざまな反動はあった。しかし、人類と世界のための私どもの活動は、心ある多くの人たちの理解と称賛をうけている。仏法を基調とした、私どもの平和・文化・教育の運動こそ、まさに人類の希望を担ったものであることを強く確信していただきたい。
 どうか、ますますの勇猛心をもって、自らの「人生」と「広布」に生き抜いていただきたい。それがとりもなおさず、自分自身はもとより世界の人々の幸福と繁栄のための、大いなる貢献となっていくのである。
 最後に、尊く、大切な皆さま方の、ますますのご健勝とご活躍、そしてご長寿を心から祈り、私のスピーチを終わらせていただく。

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