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日蓮大聖人・池田大作

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墨田、荒川区記念支部長会 後世に不朽の″深き人生″を

1988.10.12 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

前後
20  小説「大道」の最後は、兼山の叫びで締めくくられている。
 「真っ黒い雲の間から、銀の糸をほんの幾筋かひいたようにが輝いていた。
 兼山は、じッとこれを見た。見ていると次第々々に、何かしら叫びたいものが胸一ぱいにこみ上げてきた。
 『俺は人間の大道を歩いてきた。命がけで真面目に信念の上を歩き、誠実の上を歩いてきた。俺は、今日切腹の使者が来ても、本当に笑って死ねるぞ──強い、俺は強い、大道を歩いてきたものは強いッ!』」
 戸田先生が「大道書房」と名付けられた思いも、わかるような気がする。
 「誠実」の道を行け。人目を気にして生きるような、なさけない人間にはなるな。堂々と人間としての大道を歩め──これは戸田先生が、常に教えられたことである。
 兼山はこの直後、病を得て急死する。謹慎中、彼は、正義ゆえに迫害された中国の屈原の詩を愛誦したという。
 なお、藩権力は、兼山の死後、より強圧的になり、兼山の一家を一カ所に押し込め、男児が死に絶えるまで、何と四十年間も幽閉していた。まさに非道の所行であった。
 生き残った娘が出てきた時には、四歳の幼児も四十四歳の老嬢となっていた。その中の一人「えん」の悲劇を描いたのが、大原富枝氏の名作『婉という女』である。
21  妙法の「無常の大道」を堂々と
 ″人間としての偉大さは何か″″だれが真に偉いのか″──人物が大きく、社会の小さな器からはみ出る分だけ、不当な評価が続くものだ。それが歴史の必然かもしれない。しかし、本当の偉大さは、時とともに必ず明らかになってくる。これがこの小説の語りたかった一つの点でもあった。
 兼山の偉業は、やがて土佐藩繁栄のいしずえを築いた不朽の功績として、人々が感嘆し、ふり仰ぐものに変わっていった。
 私どもの広布の活動も、今は、多くの無認識や非難の嵐にみまわれているかもしれない。しかし、必ずや後世の人々によって証明され、感謝されるときがくると確信している。
22  ホイットマンは「大道の歌」で、こううたう。
 「宇宙そのものが一つのみちたり、多くの路たり、旅する霊魂たましいの路たるを知る」
 「あらゆるものは霊魂の前進に路を開いて去る」
 「宇宙の大道に沿うて進む男女の霊魂の行進からすれば、あらゆる他の行進は、これに必要な表号と栄養物にすぎない」
 「彼等は行く! 彼等は行く! 私は彼等の行くのを知ってるが、彼等が何処いずこへ行くかを知らない。
 しかし、私は彼等が最善の方に行くことを知ってる──或る偉大の方に向って」(白鳥省吾訳)
 宇宙の大道にのっとって進む男女の行進とは、まさに学会の姿である。私どもの信心と広布の前進は「人間の大道」「社会の大道」「宇宙の大道」を歩みゆく、尊くも誉れある行進であり、それは人類の闇を開き、未来永遠に光り輝く、つねに新しき創造と発展の旅路なのである。
 この妙法広布という「無上の大道」を、晴れやかに、また堂々と、生涯、ともどもに歩みゆくことを誓いあって、私のスピーチを終わらせていただく。

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