Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第九回本部幹部会 仏法は「民衆」と「時代」に脈動

1988.9.17 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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13  若き日の夢を生涯の希望に
 戸田先生はかつて、次のように話されたことがある。
 「われらが御本仏・日蓮大聖人は、御年十六歳にして人類救済の大願に目覚められ、かつまた宇宙の哲理をお悟りあそばされて以来、三十二の御年まで、その信念の確証を研鑚けんさんあそばされて後、御年六十一歳の御入滅の日まで、若きときの希望、若きときの夢の一つも離すことなく、生活に打ちたてられたことは、じつにすさまじい大殿堂を見るがごときものではないか」と。
 若い時の「夢」、若い時の「希望」を手放すな、との戸田先生の指針である。まさしく、この両者を手放しては、人間として何の意味もない。どこまでも夢と希望を持ち続け、そのすべてを実現していく──ここに「人生」と「信仰」の、素晴らしき「ロマン」があることを強く申し上げておきたい。
 大聖人は、身延方面の地頭であった波木井実長はきりさねながへの御手紙の中で、南岳なんがく大師の次のような言葉を引かれている。
 「若し菩薩有りて悪人を将護しょうごして治罰すること能わず、其れをして悪を長ぜしめ善人を悩乱し正法を敗壊せば此の人は実に菩薩に非ず」──もし、菩薩がいて、悪人をかばってその罪を罰することができず、そのために悪を増長させ、善人を悩まし正法を破壊するならば、その人は本当は菩薩ではない──。
 「外には詐侮を現じ常に是の言を作さん、我は忍辱を行ずと、其の人命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん」──この人は、外に向かっては、いつわりあなどって、常に次のようにいうであろう。『自分は忍辱の行を行っている』と。しかし、その人は命が尽きて死んだ後、多くの悪人とともに、地獄におちるであろう──と。
 波木井実長は、大聖人御入滅後、悪師・日向(五老僧の一人)に親近して、大謗法をおかしてしまうが、他の御手紙などとあわせて拝すると、大聖人は御在世中から、その実長の生命の傾向性を鋭く見抜かれていたようである。
 この御手紙では、正法を破る悪を見過ごし、許してはならない。強く破折していかねばならない。そうでないと堕地獄は間違いないと厳しく戒められている。
 「破邪顕正はじゃけんしょう」が大聖人の仏法の根本精神である。もし、正法を破ろうとする悪人に対して、その罪を弾がいすることもなく、悪を増長させてしまうならば、もはや大聖人の門下とはいえない。
 こうした悪をせめ、悪人と戦わない人にかぎって″自分は、菩薩の修行の一つである忍辱にんにく(耐え忍ぶこと)の修行をしている″といって、自らを正当化してごまかしてしまう。しかし、それは自らの憶病さのゆえに、悪の傍観者となっているにすぎない。その人は、いわば悪人と同罪で、成仏はできない、必ず堕地獄の道に入ってしまうとの仰せなのである。
 たもつべき法は世界第一でありながら、持つ人の心が憶病や慢心にとらわれていれば、仏法の信仰者とはいえない。この「心」をどう堅固に持っていくかが大事なのである。いくら口でうまいことを言っても、その厳しき現実は免れえない。
14  学会は庶民を守りゆく世界
 また、以前にも申し上げたように、大聖人の御入滅後も、佐渡には純粋な信仰を貫いていこうとする多くの門下がいた。しかし、その佐渡に富士の門流ではない一人の風来の僧が入り込み、門下を惑わすということがあった。
 大聖人御入滅四十二年目の元亨げんこう三年(一三二三年)六月、日興上人(当時、御年七十八歳)は、佐渡の門下への御手紙で、次のように仰せになっている。
 「御じやうにも、御たれともそうらはす、かうしう講衆よりも、しでし師弟子ぞんち存知せぬと申され候あいだ、御くやう供養おさまいらせず候事は、きはめおそれ入て候へども」
 ──御手紙にも、師がだれであるとも書かれてはいない。また佐渡の門下の人たちも、その僧の師弟子を知らないといっているので、その僧からの御供養を、(日興上人は)収めなかったことは、たいへん恐縮ではあるが──。
 「ほうもん法門たてそうろうことは、ゑんぶだい閻浮提一の大事にて候あひだかよう斯様に、きたい鍛錬申候だにも、しやう人の御せうらん照覧にはゆるくやおぼされ候らんとおそれいりまいらせて候なり」
 ──この法門を立てたことは、閻浮提えんぶだい(全世界)一の大事であるので、このように厳しく申し上げることさえも、大聖人が御照覧になれば、それはゆるやかだとおしかりを受けるかもしれないと恐縮している次第である──。
 「御かうしう講衆じこん自今いご以後おいて、へんぱ偏頗ありてしやう人のほうもん法門にきずたまひ候な」
 ──佐渡の門下も、今より以後、法門上の偏頗があって、大聖人の法門にきずをつけてはならない──と。
 日興上人は、自分の師も弟子もはっきりしない、正体不明の人物によって、純粋な、清らかな信心の世界が、かく乱されることを絶対に許されなかった。日興上人の御指南は、一面、厳しすぎると考える者もいたかもしれない。
 しかし、大聖人の仏法は、閻浮第一、つまり世界第一の大事の法門である。末法万年尽未来際の永遠の大法であり、この大法以外に、人類を救う方途はない。だからこそ、厳格に、少しの誤りも、濁りもなく護持していかねばならない。
 ″このように、強く戒めても、大聖人が御覧になれば、まだゆるやかだ、軟弱だ、とお叱りをうけるかもしれない″と、厳しく律していかれたのが日興上人であられた。
 正しき、清浄な信心の世界を濁らせ、乱そうとするものとは、妥協なく戦っていかねばならない。これが、大聖人の御心を我が心として、大聖人の正法正義を厳然と守り抜かんとされた御弟子・日興上人の深き御決意であられたと拝する。
15  「広布」と「信心」の学会の世界にあっても同じ方程式でなくてはならない。清浄な正法正義の世界を、絶対に濁らせてはならない。濁れば、そこから魔の眷属がはびこり、堕地獄の因をつくってしまう。ゆえに牧口先生も、戸田先生も、邪悪とは徹底して戦われたし、信心には厳格な指導をされてきた。
 私もまた、恩師の歩んだ厳しき信心の道を一分もたがえることなく進んできたつもりである。ゆえに、世界にかんたる学会が築かれたと思っている。今日の創価学会の発展は、私どもの信心、指導、歩んできた道が、絶対に間違いのなかったことの証左にほかならない。
 戸田先生が、青年に厳しく教えられたのも″いかにして純粋な学会の世界を守り抜くか″との一点であった。学会は人のよい善人の集いである。だからこそ、邪悪の者が出れば、いくらでも利用され、かく乱もされてしまう、と未来を鋭く見通されていたにちがいない。
 戸田先生はいわれていた。
 「学会は庶民の味方である。いかにののしられ、嘲笑ちょうしょうされようとも、その人たちのために戦う。仏の目から見るならば、最高に崇高なことなのである。有名を鼻にかけたり、見栄を張ったりする者の応援もいらないし、学会の幹部になっては絶対に困る。学会は純粋な信仰で一切を切り開いてゆく」と。
 戸田先生の、遺言ともいうべきこの言葉を申し上げ、皆さま方の「ご健康」と、「ご活躍」と「ご長寿」を念願し、私のスピーチを終わらせていただく。

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