Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第六回全国青年部幹部会 広布の太陽へ青年よ走れ

1988.7.10 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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19  また「撰時抄」に次の一節がある。
 「人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや」──ある人が人々のために路を作った。その路に迷うものがあるからといって、路を作る人のつみといえるだろうか、いやそうではない──と。
 この御文は、機根の悪い愚人ぐにんが大法を誹謗ひぼうして悪道にちてしまうならば、それは大法を説いた人の罪ではないか、という質問に対する答えである。
 それはそれとして、いつの世にも、先人が苦労して切り開いた道を、何の感謝もなく偉ぶって歩いていくだけの傲慢ごうまんな人間がいる。そうした人間に限って、自分のあやまちで道に迷ったのに、それを人のせいにしていくものである。
 そのような人生はあまりにも卑しい。愚劣な生き方であり、またむなしいものだ。諸君は、何かあると責任を人に転嫁てんかするような生き方だけは絶対にしてはならない。自らの使命と責任で、自分らしく「道」を開き、後世のために残しゆく一生であっていただきたい。
 ともあれ、大なり小なり苦労のない人生はない。苦労をさけたり、苦難から逃げるような弱々しい生き方であっては、人生に勝てない。諸君は、気の弱い、憶病な、神経質な青年ではあってもらいたくない。よい意味での「ても焼いても食えない」というか、″しぶとい″″骨太い″たくましい青年に、指導者に育っていただきたい。
20  先日もある国の要人と会見した。その人は、きれいな川でも、川底にいる魚が一匹でも動けば泥が舞いあがり、水をにごらす。今の批判も、そんなもので全くとるに足らないと言っていた。物事は内から見るより、外から見た方がよく見える場合があるものだ。
 低次元の妨害など悠々と見下ろしながら、全世界、そして宇宙をも見すえる大きい心で、雄渾ゆうこんの指揮をお願いしたい。
 御書に「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」──日蓮の弟子たちは憶病であってはならないのである──と。
 諸君は、「苦難」や「障害」の嵐があればあるほど、胸を張り、いやまして強盛なる信心で進んでいただきたい。どこまでも学会の中で生き、学会とともに戦い、学会の中で素晴らしい「大果報の人生」と「壮大なる境涯」を開きながら、尊い生涯を広布の炎のランナーとして走り抜いていただきたいと念願し、本日のスピーチとしたい。

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