Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第六回本部幹部会 堂々と広宣流布の志高く

1988.6.21 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

前後
16  しかし、その日興上人に対して、身延離山のさいに、身延山から多くの宝物ほうもつなどを持ち去ったとの非難が、長い間なされた。むろん事実無根である。総本山第五十九世日亨上人も、この暴言に対し、「謹厳きんげん無欲の開山上人(日興上人)を毒することはなはだしいものである」と、いきどおりをもって、その非を破しておられる。
 いうまでもなく、この非難は、いわれなき誹謗ひぼうであり、いわば、ためにする″デッチ上げ″であった。
 悪人が自ら捏造ねつぞうした″デマ″を事実と強弁し、周囲も真偽しんぎを確かめず、何となく憶測おくそくのみで断定し、言い広げていく――大なり小なり、いつの世にも見られる、悪意の中傷である。
 ともあれ、日興上人は、いかなる悪口雑言あっこうぞうごんをものともせず、ただひたすら、大聖人の教えのままに、広宣流布、令法久住りょうぼうくじゅうのために邁進まいしんされた。まことに毅然きぜんたる尊い御姿であられた。
 大聖人は、南条時光への御手紙のなかで、「人もそしり候へ・ものともおもはぬ法師等なり」――人がいろいろ謗るであろうが、我ら日一門は、悪口や誹謗ひぼうなど、ものとも思わぬ法師等である――と仰せになっている。
 真実は、どこまでも真実である。正義は、どこまでも正義である。したがって、誰に、どう言われようと、おくすることはない。恥じることはない。いかなる悪言あくげんがあろうと歯牙しがにもかけず、法のまま、まっしぐらに進めばよいのである――大聖人と、日興上人の、こうした烈々たる御精神が、深く拝されてならない。
17  ″一切は心のまま″の境涯を深く
 最後に、時光が十七歳の時に与えられた御抄を拝しておきたい。
 「が大事とおもはん人人のせいし制止候、又おほきなる難来るべし、その時すでに此の事かなうべきにやとおぼしめして・いよいよ強盛なるべし
 ――自分が″この人は大事な人だ″と思っている人が、信心をやめさせようとし、また大きな難がやってくる。その時こそ、諸天の加護があると確信して、いよいよ強盛に信心すべきである――。
 「さるほどならば聖霊・仏になり給うべし、成り給うならば来りてまほり給うべし、其の時一切は心にまかせんずるなり、かへす・がへす人のせいし制止あらば心にうれしくおぼすべし
 ――そうであるならば、聖霊(亡き父)は、成仏されるであろう。成仏されたならば、来て、あなたを守護されるであろう。その時、一切は心のままである。くれぐれも、信心を妨げる人があったならば、心にうれしく思いなさい――と。
 十七歳といえば、今なら高校生の年代である。その時光に、大聖人は「大事とおもはん人」が信心を邪魔しに来ること、また、やがて大難が来るだろうことを述べられながら、「父子一体の成仏」の法理を示されている。
 つまり、難が来た時、いよいよ強盛に信心に励めば、亡き父も成仏し、三世の福徳に輝いていく。むろん、それは父に限らない。母をはじめ、亡くなった親族も、すべてその通りとなる。ゆえに、障魔の嵐の時こそ、一家、一族の永遠の安穏、幸福を開いていく絶好のチャンスである。
 反対に、難の時に逃げたり、憶病おくびょうになったりすれば、自身の福運のみならず、亡き父、親族の福徳をも消してしまう。これほどに、仏法は峻厳しゅんげんである。
18  時光は、大聖人のこの仰せのままに、熱原の法難にあっても、青年らしく、凛々りりしく戦い抜いた。そして大聖人御入滅後も、日興上人を外護げごし、大石寺の創建に尽くした。まさに、「富士門今日の大基礎を築き上げられた宗門の大功労者」(日亨上人)であった。
 それに加え、父や弟の分まで長生きし、晩年には多くの子孫に囲まれつつ、最高の幸せを満喫し、七十四歳の生涯をまっとうした。
 たび重なる大難との死闘のてに、まさしく大聖人の「一切は心にまかせんずるなり」(一切は心のままである)の御約束通りに、自在の境涯を開き、見事なる所願満足の生涯を飾った。これもすべて、「広布の正道」をひたすらに歩み抜いた結実にほかならない。
 広布の″将の将″として奔走ほんそうされている皆さま方もまた、大聖人の御遺命のままに成仏の道を行く尊い仏子の方々である。最大に、この一生を楽しみ、一家の限りない幸福と安穏を開いていかれるお一人お一人であっていただきたい。
 その皆さま方に、心から敬意を表するとともに、更なる皆さまの健勝、長寿をお祈りし、本日のスピーチとさせていただく。

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