Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第一回小金井圏総会 「雄大な事業は青年の仕事」

1988.6.17 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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16  勇気の信心で″幸の錦″飾れ
 さて、釈尊の「鹿の物語」である。
 ──昔、雪山せっせんの近くに、ある鹿の王がいた。彼は五百頭の鹿をひきいていた。
 ある時、一人の猟師りょうしがエサをまき、ワナをしかけた。群れの先頭を走っていた鹿の王は、そのワナにかかってしまう。
 しかし王は、他の鹿たちが、ゆっくりとエサを食べ終わるまで、そのことを黙っていた。彼らを安全に守ることしか、考えなかった。──これが指導者の心である。自らが犠牲ぎせいになり、攻撃を一身に集めて、皆を守る。
 やがて、王がワナに足をとられているのを見た鹿たちは、王の深き心も知らず、皆、王を見捨てて逃げ去ってしまった。釈尊の憶病な弟子たちと同じである。
 ただ一頭、女性の鹿だけが、その場に踏みとどまった。──いつの世も、女性は強い。いざという時には男性よりも、よほど頼もしい場合がある。かの「松葉ケ谷まつばがやつの法難」の際、逃げ道へ案内して大聖人の危急をお救いしたのは、勇敢な一女性であったという説もある。
 鹿の王を励ましながら、彼女は何とかして助けようと、いろいろ努力する。しかし、どうしてもワナは、はずれない。やがて、刀をふりかざした猟師りょうしが近づいてきた。絶体絶命である。
 この時、彼女は、猟師に必死で訴える。
 ″あなたの刀で、まず私を殺しなさい。そして願わくは、王は逃がしてください″と──。
 文字通り、捨て身の叫びであった。血涙の声であった。さすがの猟師も心を揺さぶられた。そして、ついに二頭とも解放した──という物語である。
 捨て身の一念は強い。どんなかたくなな心をも動かしていく。まして御本尊への懸命の祈りは、全宇宙、一切の諸天をも揺り動かしていく。
 いうまでもなく、この物語の鹿の王が、今の釈尊であり、女性の鹿が今の阿難であるというのである。逃げ去った鹿たちは憶病な弟子たち、猟師は酔った象である──と。
 すべて過去世からの因縁がある。今世限りのことではない。仏法における生命の因果の絆は三世にわたる。大聖人も「三世各別あるべからず」と仰せである。
17  広宣流布は、万年への遠征であり、三世にわたる生命向上の旅路である。その舞台は、世界的どころか宇宙大の広がりを持つ。この壮大なる戦いの主人公こそ、皆さま方である。あまりにも甚深じんじんなる使命であり、高貴なる立場である。その真実は、退転の徒のいやしき心には、想像もできないにちがいない。
 この大いなる使命の自覚と誇りも高く、「勇気ある信心」を奮い起こし、貫いていただきたい。苦難を喜びつつ、勇んで挑戦していっていただきたい。
 その勇猛の実践にこそ、三世永遠に輝きわたる生命の「ほまれ」も「にしき」も備わってくる。そして我が生命を、崩れざる「金剛宝器こんごうほうき」へと完成していくことができる。大切な時に憶病であれば「宝器」とはならず、せっかくの大福徳を自ららしてしまう。
 ともあれ、小金井圏は日本第一の「福運」の国土であっていただきたい。また日本第一の「幸福」の人々の集いであっていただきたい。そして日本第一の「和楽」の組織であっていただきたい。その偉大なる小金井圏の建設を、心よりお祈りして、本日の記念のスピーチを結ばせていただく。

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