Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二回全国婦人部幹部会 平凡にして偉大な母に幸あれ

1988.6.7 スピーチ(1988.5〜)(池田大作全集第71巻)

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20  やがて、この婦人の夫は亡くなる。この残された妻と娘に対して与えられたとも拝察される御手紙のなかで、大聖人は次のように仰せである。
 「されば故入道殿も仏にならせ給うべし、又一人をはする・ひめ御前も・いのちもながく・さひわひもありて・さる人の・むすめなりと・きこえさせ給うべし、当時もおさなけれども母をかけてすごす女人なれば父の後世をもたすくべし
 ――(あなたが純粋な信心を貫いているので)故入道殿も成仏されるでしょうし、また一人おられる姫御前は寿命も長く、幸福で、さすがあの人の娘よと、うわさされるようになるでしょう。(姫御前は)今も幼いのに母御前に孝養を尽くされるほどの女人ですから、故入道殿の後世をも助けられるでしょう――と。
 ここで大聖人は、まず婦人の信心を心から称賛され、″あなたの信心が健気けなげで立派であるからこそ、亡くなったご主人は必ず成仏しますよ。かわいい娘も、亡き父の分まで長寿で、幸せな人生を送れますよ″と述べられている。
 長年にわたり病身の夫の面倒をみつづけ、幼い娘を育てながら信心を貫いてきた母親こそ、家庭にあって最も悩み、苦労してきた存在であったろう。
 だからこそ誰よりも幸せになり、誰よりも素晴らしき人生を歩んでほしいとの大聖人の御慈愛が、私は胸に迫ってきてならない。
 今日、広布のために誰よりも苦労し、奔走されている婦人部の皆さま方こそ、最も幸福となりゆく権利と資格を有する方々であると、私は心から信じ、また念願している。
 さらに大聖人は、娘も、夫妻の尊き信心の魂を受け継ぎ、親の後世を助けていくでしょう、と。一家における信心の清流は、親から子へと確かに引き継がれ、いわば、一族が、三世永遠の″妙法の幸の軌道″に入っていくことを示されている。
 私どもの信心は、自分自身の幸せは当然のことながら、一家の、そして一切衆生の幸福と安穏をも実現していく道である。
 懸命なる広布への行動は、我が子供たちをも、使命ある後継の大樹へと育て、隆々たる子孫の繁栄と永遠の幸福を築く原動力となっていくのである。
 時には子供たちから″きょうは、お母さん、ご飯の火もつけていかなかったわ″″きょうの打ち合わせは、ずいぶん、長かったのね″などと叱られることがあるかもしれない。
 むろん、妻として、母としての努力は当然である。しかし、子供たちにとって、多少、多忙で、家にいる時間が少ないお母さんかもしれないが、大きくなるにつれ、広布のために働く母親がいかにありがたいかを、深く理解し、感謝していくにちがいない。
21  信心の心清き生涯を
 最後に、次の御抄を拝しておきたい。
 「母尼ごぜんには・ことに法華経の御信心のふかくましまし候なる事・悦び候と申させ給候へ」――母尼御前が、ことに法華経の御信心の深くあられることを、(大聖人が)大変喜んでいると、申し伝えていただきたい――。
 簡潔かんけつで、何気ない御文であるが、まことに感銘深い御言葉である。
 ここに仰せの「母尼御前」とは、南条時光の母のことである。彼女は、日々、仏道修行にまじめに励み、同志とともに、また若き青年たちとともに、広布のために活躍していたのであろう。その姿を、大聖人は心から喜ばれ、称賛されている。その御心を、是非とも母御前にお伝え願いたいと、子息に真心の伝言を託されたのである。
 この婦人は、当時としては、それなりの年配であったろう。今でいえば、さまざまな経験を重ねてきた指導部の方々にあたるかもしれない。第一線の活動は、すでに後進に託し、青年らの活動の支えに徹していたのかもしれない。
 まさに、信心は年齢でもない。地位でもない。信仰の年数だけでもない。みずみずしく仏法を求め、信心を深めていく姿は、誰びとであれ、たえず大聖人が御照覧であられる。ゆえにいかなる立場であっても、いかなる年齢となっても、信心の「心」だけは清らかに、生き生きと法を求め、妙法を唱えていくことだ。ここに、御本仏の称賛を受け、限りなく幸の境涯を深めゆく要諦ようていがある。
 ともあれ、地域の婦人部の方々に、くれぐれもよろしくお伝え願いたい。第十八回総会が、無事故で大成功を収めゆくよう重ねて念願するとともに、お一人お一人が、さらにご家族の皆さまが、ますます、幸福に輝いていかれるよう心から祈念し、本日のスピーチとさせていただく。

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