Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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埼玉・朝霞圏幹部会 正法の清流守る「和合僧」を

1988.5.8 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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25  これまでも、学会は総本山外護に尽くしてきた。大御本尊まします総本山をどこまでもお守り申し上げ、その発展に赤誠を尽くす精神は初代、二代会長以来、いささかも変わることはない。私も恩師の精神を寸分もたがえず代々の上人に御奉公申し上げてきた。
 昨年の十月十二日をもって正本堂建立十五周年を迎えたが、かつて日達上人は次のように仰せになっている。
 「本門戒壇の大御本尊は我が正宗の宗旨の根本であり、日蓮大聖人の御当体である故、我等正宗僧俗の魂である。此の大御本尊を正本堂は永久に守護し奉る建築物である」
 「池田先生が正本堂の建立発願は、かつての師、戸田城聖先生が正本堂建立を希望しながら時を得ず、世を去られたのであるから、その戸田先生の志を遠因とし、大御本尊を守護し奉る熱誠の表われとしての大願であろう」と。
 永久に大御本尊を御安置申し上げる正本堂を建立寄進申し上げた学会の福運は絶大であり、万代にわたり大御本尊から守られゆくことは間違いないと確信する。
 日達上人はさらに続けて、
 「まさしく昭和四十七年十月十二日正本堂は完成した。
 我が宗のシンボルマークは三つ羽根鶴の丸である。池田先生は正本堂の形として、白鶴の飛翔ひしょうする姿を着想せられたのであるから、正本堂は我が宗の紋章と期せずして一致したのである」と述べられ、次のように結ばれている。
 「大聖人は『阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房』と仰せになっている。此の言葉を借用敷衍ふえんすれば、
 『池田大作さながら正本堂、正本堂さながら池田大作』ともいえる。
 池田先生に二陣三陣の信徒は皆『さながら正本堂』でなければならないと思う。その覚悟が本門戒壇の大御本尊の守護を事行に修行することになると思うのである」と。
 まことにもったいない御言葉である。ともあれ、私どもは今後も、僧俗和合して永遠に広宣流布に邁進まいしんしていきたい。
26  妙法の″幸の泉″を満々と
 最後に再び朝霞の地に触れておきたい。
 朝霞は、いにしえから″水″にゆかりのある天地である。わき水をたたえ、その名も「泉水山せんずいやま」と呼ばれる地からは縄文時代の集落の遺跡が発掘されている。また、平安時代には台地のがけ下にわき出る泉の「広沢の池」を中心に開墾が進んだとも伝えられる。
 さらに、江戸時代になると市内を流れる「黒目川」の水で水車を回し、米つきや粉ひきが始められた。豊かな緑と水の流れ、川に沿って設けられた水車小屋――何とも優雅な武蔵野の詩情あふれる場面が目に浮かぶようである。
 そしてこの水車動力を利用して、有名な伸銅(銅の加工)が行われるようになった。今でも朝霞では伸銅工業が続いている。また現在、利根川を水源とする朝霞浄水場もあり、都民の水の供給地となっている。(朝霞の歴史については朝霞市教育委員会編「朝霞市 歴史道」、同「郷土朝霞」、「新編埼玉県史」等による)
 どうか朝霞の皆さまは、めども尽きぬ妙法の″幸の泉″から無量の福徳をわき出させていっていただきたい。そしてこれからも、埼玉第一の清らかな信心の模範の圏として前進されんことを念願して、私のスピーチを結びたい。

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