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日蓮大聖人・池田大作

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「創価学会の日」記念式典 「創価」の使命に無常の誉れ

1988.5.3 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

前後
12  この日尊の破門について、第三十一世日因上人は、こう述べられている。
 「師はこれ仏界なり、弟子はこれ九界なり。師弟和合して余念なきところは、事の一念三千の妙法華経なり。もし少しも余念あらば師弟不和なり。何をもって事の一念三千即身成仏を論ずべけんや」(「有師物語聴聞抄佳跡」)
 すなわち――師匠は仏界であり、弟子は九界である。仏界と九界、師と弟子が和合して、いささかの余念もまじらないところは、仏界即九界、九界即仏界の深義があらわれ、「事の一念三千」の妙法華経のすがたとなる。しかし、もし少しでも余念があれば師弟不和となる。それでは、どうして事の一念三千・即身成仏を論ずることができようか――。
 ″師弟一体の実践のなかにしか成仏はない″とのご断言である。
 そして「ゆえに日尊余念おこして飛葉を見る故に十二年の御勘気をこうむる事を引いて以て末代の弟子をいましむる者なり。後代の弟子いよいよつつしむべし慎むべし」(同)と。
 つまり、日尊が師の講義にさいして余念を起こし、飛葉を見て十二年の勘当を受けた。この史実は、成仏への唯一の道である「師弟の道」の厳格さを後世の弟子に教え、戒めるものであると述べられている。
13  日尊は勘当中の十二年間、毎年、日興上人のおられた重須おもすの門前にある桜の木の下に来て、はるかに御影堂みえいどう等を敬礼したという。破門の身であり、入りたくとも入ることも許されない。後悔してもしきれない。
 その桜の近くに一つの石があった。日興上人は日尊をあわれまれて、人にいって、竹の皮の円座を石の上に敷かせておられる。日興上人の深き御慈愛がしのばれるエピソードである。日尊は、この円座にすわって赦免しゃめんうた。しかし、それでも日興上人は許されなかった。それほど仏法の師弟は厳しい。ひとたび余念を起こし、いささかでも師を軽んじた罪は、仏法に照らして容易なことで許すべきことではなかった。
 大聖人の仏法をほうじて進む学会の世界においても、この厳格さは同様でなければならない。
14  歴代会長の厳格な精神忘るな
 日淳上人は、戸田先生の逝去七カ月後、十一月九日に行われた学会の第十九回総会の席上、次のように講演された。
 「今日この創価学会の方々が、戸田会長先生が師匠として教えられて来られました所を、一歩も踏みずさずに遵奉じゅんぽうをして益々ますますその道に邁進まいしんせられようとせられること、このことが真の妙法華経の道を実践躬行きゅうこうすることであるのでございまする」と。
 学会の「師弟の道」に徹するところに、妙法の真の実践があると明言しておられる。
 戸田先生は牧口先生との師弟の道を貫かれた。私も、戸田先生の教えられた通りに、まっすぐに生き抜いてきた。三代の会長が、この師弟の道に徹したゆえに今日の学会の大発展がある。この一点を、いささかも軽んじ、見失ったならば、もはや正しき広布の前進はありえない。日淳上人の仰せのごとく、それでは真の妙法の実践ではなくなってしまう。後世のために、このことを、あえて申し上げておきたい。
 人類待望の「生命の世紀」ともいうべき二十一世紀は、刻々と近づいている。
 この最も重要な、素晴らしき晴れ舞台へと活躍しゆくのは、青年部の諸君をはじめとする、我が地涌の勇者である。いわば皆さま方は″久遠よりの特使″であり、いかなる世界のリーダーにもまさって使命も深き、仏法の指導者であられる。
 その限りなく大切な皆さま方の「成長」と「活躍」と「長寿」を、心の底より祈りに祈って、本日の私の記念のスピーチを終わりたい。

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