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日蓮大聖人・池田大作

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第1回全国婦人部幹部会 生命本源の「自由」を勝ちとれ

1988.4.27 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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18  奥底の一念が現実を決する
 大聖人が繰り返し仰せの通り、妙法受持の私どもには、三障四魔が紛然と競い起こる。このたゆみなき闘争にあって、魔の軍勢と戦い、克服していくべきは、信仰者として、避けられぬ使命であり、責任である。
 まさに「法華経の敵」と戦うことを願い求めた諸天は、この決定けつじょうした一念の人にこそ応じ、その力用を全面的に発動していくにちがいない。妙法の無量無辺の功徳と福運は、この厳然たる「師子王の心」の人に薫り、永遠の″生命のにしき″として輝いていくのである。
 大聖人は、「十八円満抄」のなかで次のように仰せである。
 「予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき所詮しょせん時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし
 ――我が弟子達は、私と同じように正法を修行しなさい。智者や学匠の身となっても、地獄におちてしまっては、何になるだろうか。結局は、時時念念に南無妙法蓮華経と唱えなさい――と。
 たとえ有名人となり、社会的評価を得ても、地獄におちたならば、何にもならない。ゆえに信心こそ大事なのである。
 目に見えざる世界を確信していくのが信心である。目に見える世界のみを追う人は、往々にして功をあせり、虚栄と形式に流される。
 奥底の一念は見えない。しかし、その一念は三千羅列(られつ)の目に見える姿として厳然と現れ、人生の「勝敗」を明らかにしていく。これが仏法の厳しき因果である。それをどこまでも確信しきった人が、最後の、しかも永遠の勝利者となるにちがいない。
19  ″永遠の幸福″のための信心
 戸田先生は、昭和二十七年三月二日、杉並支部の第一回総会の席上で次のように指導されている。
 「……いろいろ事件が起こる。このときこそ大切なときなのである。
 兄弟抄に、『魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云』とある。
 この魔に負けたら、成仏できないのである。
 四魔のなかで、天子てんじ魔というのは、信仰をやめなければならぬようにするのである。このときが、大利益を得るか、いなかのせとぎわなのである」
 魔が競い起こる時とは、まさに大利益、大功徳を受けられるかどうかのさかいなのである。
 戦後の学会再建期にあって、戸田先生は、さまざまな難にあわれた。だが、私は、断じて先生を守ろう、と決意した。広布のためゆえの難である。広布に一生をかけて生き抜こうとするならば、難は必ず乗り越えられると確信していた。
 私もまた、これまで幾度も難にあった。しかし、信心ですべてを乗り切ってきたがゆえに、大功徳を受け、広布の大道を悠々と歩んでいける。
 戸田先生はさらに続けて「このことは、ふだんこうして話しているときはわかるが、いざ、自分が問題につき当たったときには、忘れてしまう。
 成仏というのは、すごい境涯である。その証拠として、死ぬ前に、ほんとうの歓喜の生活が送れるのである。……いま幸福をつかまなくて、いつ、そのときがあるのか。ますます信心を強盛にして、永遠の幸福をつかまれんことを」といわれている。
 皆さまにも、さまざまな苦難のときがあるだろう。しかし、そのときこそ、宿命を転換し、大功徳を受けるときと確信して、師子王のごとき信心を貫き通していただきたい。
 最後に、皆さまは正法を信じ、正法を行じ、弘め、正法の功徳に包まれながら、尊き人生を楽しく生きゆくお一人お一人であっていただきたい。
 そして、婦人部の皆さまが、一人ももれなく幸福であり、安穏であり、健康であり、長寿であられんことを心からお祈りし、私のスピーチを終わらせていただく。

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