Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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神奈川広布37周年記念本部長会 強靱な心、美しい心を

1988.4.16 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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13  さて周総理は、一九四五年(四一年とする説もある)の学生集会で、母親へのあふれんばかりの心情を、次のように吐露している。
 「私自身のことを申しあげると、今の私、今後の私がもっとも懸念するのは、私にすべてを与えてくれた母親のことであります。その墓はまだ日本占領下の浙江せっこう省にあります。そこへ帰って母親の墓に詣でることができたらどんなにしあわせか――これは生命を革命と祖国に捧げた蕩児とうじ(わがままな息子の意)が、やらなければならない最低限度の仕事であります」。
 またこの折、彼が「母の墓の草むしりができたらどれほど幸せなことでしょう」と述べたことも記録されている。
 さらに翌年の一九四六年、重慶から延安に帰るときの送別の席で、彼はこう語っている。
 「私が家を離れてからすでに三十年の歳月がたっています。母親の墓に植えた楊柳ようりゅう(ヤナギのこと)はさぞかし大きく伸びていることと思います」と――。
 こうした周総理の一言一言には、養母へのめども尽きぬ「感謝」の思いが感じられる。どのように大成し、またどのような社会的立場となっても、自らをはぐくんでくれた親の恩を決して忘れることのない美しい「心」。その人間愛にみちた「心」の豊かさ、温かさに、私は深い感銘をおぼえる。
14  ″親の恩″について、日蓮大聖人は「刑部左衛門尉女房御返事」に次のように仰せになっている。
 「父母の御恩は今初めて事あらたに申すべきには候はねども・母の御恩の事ことに心肝に染みて貴くをぼへ候」――父母の恩がいかに大きいかは今さらこと新しくいうまでもないが、母の御恩については、ことに心肝にそめて貴く感じている――。
 両親への限りない感謝と、報恩の人生を貫いていく。ここにも仏法を持つ信仰者としての大切な生き方があることを、私は特に後継の若き青年部諸君に申し上げておきたい。
15  ″母の力″は平凡にして偉大
 さて、周総理の夫人である鄧穎超とうえいちょう女史と元赤坂の迎賓館でお会いしたのは、九年前(一九七九年)の四月である。
 第四次訪中の折以来、七カ月ぶりの再会であった。私は、かねてから女史に日本の桜を見てもらいたかった。が、あいにくその年は、桜の開花が早く、再会の時にはほとんど花が散ってしまっていた。そこで、せめてもの思いを込め、八重桜を贈らせていただいた。
 その際、女史は、やさしさあふれる笑顔で、「私が心から行きたいと思っているのは、″周桜″のある創価大学です」と語っておられた。また、「時間が許せば、池田先生ご夫妻の家にも訪れたかった。でも、今こうしてお会いでき、私の心は、もうご家庭にうかがっているような気持ちになっています」とまで言ってくださったことを、忘れられない。
16  ところで、女史の母・楊振徳ようしんとくさんについて、月刊誌「人民中国」(一九八七年十一月号)に紹介されているいくつかのエピソードを話しておきたい。
 ――当時、中国は革命のさなかにあり、女史も若いころ(十代半ば)から革命運動に参加していた。そのため母と娘が一緒にいられる時間はほんのわずかであった。しかし、母娘二人は、絶対の信頼と深い愛情で結ばれていた。
 若き周恩来総理との結婚話がもちあがった時も、母は娘に全幅の信頼をおき、すべてを任せている。このこと自体、結婚相手は親が決めるものとされていた当時にあって、大変に珍しいことであった。
 これについて母親の楊さんは、「結婚については、自由のない苦痛を娘には味わわせたくなかったからであり、肩を並べて戦うなかで生まれた二人の深い愛情は、時代の流れの試練に負けることはないと信じていたからである」といっている。
 推測するに、楊さんは――周恩来、あなたも革命児である。それから娘よ、あなたも革命児である。同じ革命に生きる人間として、ともに民衆のために立派に戦い、ともに試練にぶつかっていきなさい――という思いではなかっただろうか。いずれにせよ、″母は偉し″の感を強くせざるをえない。
 また、楊さんは逝去の前年、長年の過労のため病に倒れる。何日も高熱が続くが、「それでも、一キロほど離れたところにいる娘には知らせなかった。娘もからだをこわし、しかも仕事が忙しいことをよく知っていたからである」と伝えられている。
 なんと麗しい、母と娘の絆であろうか。「民衆のため」という大目的に身も心も投じていくいさぎよい生き方――そのなかに本物の人生の輝きもある。また親が子をいつくしみ、子が親をしたう思いも、すべてが、その歩みのなかで、より大きな価値へと昇華しょうかされていくにちがいない。
 大聖人が私どもにお示しくださっているのは、「広宣流布」という大目的に向かって「不惜」の実践を貫いていく決定けつじょうした信心である。ここにこそ、人間性の真髄もあるといってよい。
 女史の母の最後の言葉は、「わたしは普通の人、構うことはありません」というひとことだったという。まさに、「平凡」にして「偉大」なる彼女の生涯を如実に表す、胸に迫る言葉である。
 ともあれ、皆さま方は、末法の真実の仏道修行であり、成仏への直道である折伏行に、日々、たゆみなく励んでおられる。
 その地涌の菩薩の眷属として、ひたすら広宣流布にまい進されている皆さま方の永遠なる「栄光」と「幸福」と「大福運」を心より祈り、本日のスピーチとさせていただく。

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