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日蓮大聖人・池田大作

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第1回東村山圏総会 「おごりたかぶるな、大衆から離れるな」

1988.4.10 スピーチ(1988.1〜)(池田大作全集第70巻)

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18  ″生命の青空″仰ぐ美しい心
 戸田先生はかつて、大聖人の偉大な御境界を拝しつつ、次のように述べられた。
 「成仏の境涯とは絶対の幸福境涯である。なにものにもおかされず、なにものにもおそれず、瞬間瞬間の生命が澄みきった大海のごとく、雲一片なき虚空こくうのごときものである。大聖人の佐渡御流罪中のご境涯はこのようなご境涯であったと拝される」「われらも、大難にあうとも、大御本尊を固く信じて受持するならば、真の絶対的幸福境にゆうゆうと遊びうるであろう」と。
 この戸田先生の言葉は私の脳裏に刻まれて離れない。また、その一言一言が強く胸奥きょうおうに迫ってくる昨今である。この素晴らしき境界を目指しての私どもの仏道修行なのである。
 ところで、ゲーテはその晩年の箴言しんげん詩集の中で、このように言っている。
  きみたちはきみたちのくもの巣で
  世界をからめ取ろうとつとめるがいい
  わたしはわたしの晴ればれとした領分で
  生命を得ることができる(飛鷹節訳)
19  この解釈は様々に可能であろう。ただ″クモの巣で世界をからめ取ろう″という陰湿な謀略――政治にしろ経済にしろ、また軍事の分野などは特に、大なり小なり、このような策略と智謀ちぼうのウズ巻く世界であるといえよう。
 どんな世界にも、またいつの世にも、陰でコソコソと″クモの巣″を張るような陰湿で卑劣な策動があるものだ。
 近年の悪侶等や山崎一派らのやり方が、まさに″クモの巣″を張って、仏子をアミにかけ、食いものにし、「宗門」と「学会」をからめとろうとの卑劣な陰謀であった。その醜悪な姿は、まさに″クモ″のイメージそのままである。
 私どもは、これからも、そのような悪の存在を絶対に許してはならない。尊き「宗門」と「学会」の信心の世界、美しい心の世界に″クモの巣″をはらせてはならない、と強く申し上げておきたい。
 信心とは策ではない。要領でもない。役職や社会的地位のみでもない。ゆえに、表面的人気や格好にだまされてはならない。
 「晴ればれとした領分」すなわち澄みきった″生命の青空″を仰ぎつつ、強盛にして純粋なる信仰で″永遠の生命″を得ていくのが私どもの世界である。
 ゆえに私どもは、どこまでも晴れ晴れと、またどこまでも異体同心の団結で、素晴らしい無上の人生、正義の人生の総仕上げをしていきたい。その堂々たる前進をお願いして、私の祝福のスピーチを結ばせていただく。

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